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断水の思い

 水道が止まる。
 あと、5分で水道が止まる。
 もうカウントダウンは始まっているのだ。
 飲み水は確保したか?トイレ用の水は大丈夫か?
 よし、大丈夫だ。
 あ、最後のトイレに行っておこう。

 以前は木造2階建てのアパートに暮らしていたので、断水の経験がなかった。しかし、貯水タンクがある現在の住まいでは、半年か年に1度くらいの割合で、貯水タンクの清掃のため、断水となる。

 管理会社から初めて【断水のお知らせ】という紙が投函されていた時には
「ふぇっ?!」
 と声を上げてしまった。
 今の住居に越してきてから、もう4年も経つというのに、未だにこの
【断水のお知らせ】
 
を見ると
「ふぇっ?!」
 と声を上げてしまう。で、大概、ひどい顔になる。口は曲がり、鼻は曲がり、その顔のまま天を仰ぐ。誰かにその顔を見られたら、何か臭いモノでも嗅いだのかと思われるかもしれない。

 午前9時から正午までの3時間、水が止まる。カシャンカシャンと外で、作業が始まっている。
 お願いします。何としても12時には、水を出してください。担当の作業員に念を送る。

 そして午前9時、とうとう水道が止まった。蛇口をひねっても、もう水は出ない。断腸の思いである。

 たった3時間のことなのに、この緊張感は何だろう。自由に水が使えないという圧迫感。この圧迫感の矛先は、だいたい膀胱へと向かう。
 朝から水も飲んでいないし、さっき行ったばかりだから大丈夫だ!
 と思ってみても、一度気にしてしまったら、もう取り返しがつかない。頭の中はトイレのことでいっぱいになる。
 いざとなったら水の汲み置きもあるのだが、きちんと流れるか不安だ。
 もしうまく流れなかったらどうしよう……
 万が一、膀胱以外の場所が刺激されたら、目も当てられない。

 3時間くらい、出掛けちゃえばいいじゃない?

 世間の声が聞こえてくる。
 わかってますよ。でも、出掛けたら、何か買ってしまう気がするし、断水のために、無駄遣いしてしまうなんて悲しい。中途半端な時間に帰っても、水が出ないから、手も洗えないし、うがいもできないのだ。

 ああ、平常心を取り戻したい。
 インフラのひとつが止まるだけで、こんなにも心がざわつくなんて、なんと情けないことだろう。

 ネットサーフィンをしたり、本を読んだりして気を紛らわせる。時計を見る。まだ1時間も経っていない。
 私は本をパチンッと閉じる。
「もう、いいや! 寝ちゃおう!」
 毛布にくるまり、ゴロンとする。
 ハタから見れば、贅沢に時間を使っているように見えるのだろうが、この贅沢な時間は、水が出ない時間なのである。
 なぜ1年はあっという間なのに、こういう時間は長く感じるのだろう。悶々としながら、毛布をかぶる。

 ……ハッとして時計を見る。

 午前11時58分。

 あと、あと2分だ。あと2分で水が出る。ようやく、ようやく、トイレに行ける。私は、浴室に直行する。

貯水タンク洗浄後は、蛇口メッシュ詰まり防止の為、必ず最初に浴室の蛇口を開けて2~3分流してから他の水をご使用ください。

 と、【断水のお知らせ】に注意書きがあったからだ。私は、お風呂用防水ラジオのスイッチを入れる。ラジオがかかる。12時の時報を待つ。

 ポ 、 ポ 、 ポ 、 ポーーーーーン!

 キターーーッ!
 蛇口をひねると、待望の水が、滴り落ちる。その水の流れを見つめていると、あら不思議。私をあれだけ苦しめた尿意がきれいサッパリ消えてしまったのである。

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