やさしい名無しさん

私は、広島の宮島口で、うえののあなごめしを食べたことがある。
香ばしくて、あなごがふっくら。本当に美味しかった。
あまりにも美味しかったので、宿泊先近くのデパートで
うえののあなごめし弁当を買って、また食べた。
食べながら思わず、口をついて出てしまった。

「あー、コレ、ばあさんに食べさせたいわー」

私の祖母は大正生まれ。
食欲旺盛。本当に食べるのが大好きな人だ。
海鮮と鶏肉が大好き。菓子にも目がない。
ちょっと、旅にでも行こうか、なんて思っても、
祖母の口に合う食べ物が旅先にあるかどうかが、最大の難関になる。
私は、祖母に会いにいく度にこう言われていた。

「なんか、どこかに美味しいものない?」

あまりにも、アレが美味しい、コレはまずいなどと聞かされてきたので
少々辟易していたこともあったが、食への執着があるからこそ
こんなにも元気なのだと、思うことにしていた。

そんな味にうるさい祖母でも、
うえののあなごめしなら美味しいと思うはず。
これは是非とも食べさせなければならない。
しかし、うえののあなごめしは広島に行かないと食べられないのだ。
祖母の体力なども考えると、広島に連れて行くのは無謀である。
ただ、ひとつだけ方法があった。

それは年に一度、京王百貨店で開催される駅弁大会。
ここで、うえののあなごめしが出品されるのだ。
ならば行くしかない!
…と思ったのだが、私は過去に駅弁大会で挫折を経験している。
何の知識もなく、夕飯にでも食べようかなー、
なんてお気楽な気持ちで駅弁大会に乗り込んてしまったのだ。
到着した京王デパートの会場で私の目に写ったのは、

人人人人人人…人の波、そして多数の行列…

夫と食べるために、いくつか食べたい駅弁を選んでおいたものの、
一人で並んでいたら、夕飯には絶対に間に合わない。
…心が折れた。

あの日のことを思うと、また、あの駅弁大会に挑むのには気が引けた。
しかも、うえののあなごめしは開店と同時に整理券を配り、販売は14時。
なんと入手するまで4時間もあるのだ。
それだけではない。
開店と同時に入るには、開店前に並ばなければならない。
どこに並ぶ? 朝、何時に着けば整理券が確実に入手出来るのか。
考えれば考えるほど、気が遠くなっていった。

しかし祖母も年だ。いくら食欲旺盛であろうと
いつお迎えがきてもおかしくない。
万が一のことがあれば、うえののあなごめしを見る度に
祖母に食べさせてあげられなかった…と後悔するだろう。
あれ?うちのばあさん、いくつだっけ?
97歳?!

……重い腰が上がった。
しかしネットで検索しても細かいことがわからない。
知りたい情報は、なかなか転がっていなかった。
私は最後の手段とばかりに、とある掲示板で駅弁大会と検索した。
そこには駅弁大会を愛する人達が、今年の駅弁について熱く語り、
時には喧嘩もしていた。
顔の見えない、文字だけでやり取りしている荒ぶる猛者たちの中に
私は思い切って飛び込むことにしたのである。

うえののあなごめしを一度広島で食べて感激したので、
高齢の祖母と母に食べさせたいと思い、
初めて駅弁大会に行ってみようかと思っています
うえののあなごめしを買うには
朝の9時に並ぶのでは遅いでしょうか?

できるだけ丁寧に書き込んでみた。
悪名高き掲示板である、変なこと言ったら叩かれるのは必至。
こっちは完全な初心者だが、半年ロムる時間はない。
緊張が走る。

すると、しばらくして多数の返信がついた。
その内容は、まさに手取り足取りで、
何時までに、どこそこの、この場所に並ぶのがいいよ、とか、
前後の人に声をかければ列に並んでてもトイレに行けるよ、とか
今日の整理券はこの時間にはまだ残っていたよ、などなど…
そこには今まで駅弁大会の猛者たちが長年かけて得たであろう知識が
惜しげもなく披露されていた。
かゆいところまで手が届くような細かい情報を得ることができ、
私は、念願叶って、食いしん坊の祖母に
うえののあなごめしを食べさせることが出来たのだ。

そしてこれが、私が祖母と食べた最後の食事となった。

「おばあちゃんが起きない。息はしてるけど眠ったまま起きない」
母から連絡がきたのは4月のことである。即入院となり、その数日後、
祖母は病院で眠ったまま息を引き取った。
私は祖母と駅弁を食べて以降、コロナの蔓延によって、
会いに行くことができなくなっていた。
あの時、掲示板の名無しさんたちに、やさしくしてもらえなかったら、
私はうえののあなごめしを祖母に食べさせることが出来なかっただろう。
本当に最後のチャンスだったのだ。

祖母の死から、ひと月ほど経過したある日、
少し落ち着きを取り戻した私は、同じ掲示板に、こう書き込みした。

以前、高齢の祖母に
うえののあなごめしを食べさせたいと
京王の駅弁大会について質問した者です
先日、その祖母が亡くなりました
うえののあなごめしを一緒に食べたのが
最後の思い出となりました
ここの皆さんに親切な返信をいただき
あなごめしを食べさせてあげることができました
本当に有難うございました

駅弁大会が閉会して数ヶ月が経過していたので、
書き込み自体もほとんどないようだった。
もう返信はないだろうと思い、私はパソコンを閉じた。
そして今日、
この話を書くために、数カ月ぶりにまたその掲示板を覗いてみた。
すると、

うえののあなごめしを一緒に食べれてよかったですね。
こちらまでその思いが伝わってきます。

と、返信がついていた。
顔の見えない、名前もわからない、名無しさん。
そんな人達のやさしさにふれたことを
私は忘れることができないだろう。

名無しの皆さん、本当にありがとうございました。

お読み頂き、本当に有難うございました!