白い猫とおまじない
東京の住宅街で時々見かける猫たちは野良猫なのだろうか。それとも自由な飼い猫なのだろうか。
特に猫好きというわけではない。でも、道を歩いていて、視界に猫の姿が入ると、無意識にその色を確かめてしまう。白い猫ではないだろうかと期待してしまうのだ。
子どもの頃、『マイバースデー』という雑誌があった。いや、あったけれども、あのおまじないが載っていたのは『レモン』だったかもしれない。待てよ、『ピチレモン』だったかも......。
とにかく、80年代には、女子向けの占いやおまじないを主体にした雑誌が人気だった。
雑誌の影響も大きかっただろうが、女子というのは昔からおまじないとか占いが好きなようである。
片想いの相手と両思いになるおまじないに、相手の髪の毛を一本用意すると書いてあったものの、うちの中学の男子は坊主だったので途方に暮れたこともあったな。
...話がそれてしまった、いつものごとく。
ある時、上述した雑誌のどれかに、「魚座の人は白い猫に願いごとをするとかなう⭐︎ 」と書いてあるのを読んですぐ、道端で真っ白な猫に遭遇した。
ちなみに私は魚座ではない。
でも、すごいタイミングだったのでテンションがあがって「長崎屋にいけますように」と、神社で神様にお願いするがごとく、手を合わせて拝んでみた。
長崎屋というのは、地元にあったスーパーのハイグレード版みたいな店で、子どもの興味を惹くような文房具や雑貨のラインナップが豊富だった。
でも、家から遠かったから、めったに行けることはなかったのだ。
ところが、その日の夕方、親が長崎屋に行こうと言い出したからびっくりした。もちろん白い猫に願掛けしたことを親が知るはずはなかった。
長崎屋に行けたのはもちろんうれしかったが、願いが叶った喜びのほうが大きかった気がする。高揚した。
今でも、白い猫に遭遇した時には願い事をしてしまう。
でも、あれ以降、願いはスルーされている。なぜだ?
私が乙女座だからではなく、願いがあのときほどシンプルでもピュアでもないからじゃないか。
願いでも祈りでもエネルギーでも、きっと純粋でシンプルであればあるほど伝わりやすいのじゃないかしら。
ひとつだけ叶うとしたら何を願うかという問いに、「ミュージシャンとしてメジャーデビューして、金持ちになりたい」と答えた人が「それって願いごとが2つだよね」と指摘されていた。
確かに。
別に、たくさんの願いがあることが悪いわけじゃないと思うけれど、いっぺんにたくさんのことを望むと、想いが分散されてしまうというのはあるかもしれない。
自分が本当に望んでいること知るのは、案外難しかったりする。
白猫が願いを叶えてくれた時、私は願いを叶えるコツみたいなものを知らず知らずに押さえていたのかもしれないなあと今になって思う。
なあんて、単なる白猫の気まぐれかもしれないけれども。
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