10年経って、ふと思い出したこと
「ここって、どうやって行けばいいか分かりますか」
ある日の部活終わり、2つ下の後輩が遠慮がちに話しかけてきた。
中学3年のはじめ、東日本大震災が発生して1ヶ月か2ヶ月がすぎたころだったと思う。
彼女が手に持っていたのは紙の地図だった。
わたしと、近くにいた同学年の2人がそれを覗き込んだ。
地図の目的地にあたるところには、学習塾の名前が書いてあった。
「ここからまっすぐ行かないと、時間に間に合わないんです」
後輩の彼女はそう言った。
その日の部活は学校ではなくて、学校から自転車で15分くらいのところにある、公営体育館で行われていた。
学校から塾、あるいは自宅から塾への道のりならわかるけれど、この体育館から塾への道のりはわからない。だから教えてほしい。
そういう事情だった。
彼女は、震災の影響で、沿岸部の地域から避難してきた子だった。
たった数ヶ月前に突然このまちに住むことになって、ほとんど土地勘なんてなかったのだろう。
それで、わたしたちを頼ってくれた。
うんうん、なるほど。
わたしたちは頷いて、もう一度地図に目を落とした。
わたしは、福島県の内陸の地方に住んでいた。
幸いなことに、この地方に住んでいた生徒たちのほとんどが、震災後ほどなくして普通に学校に通うことができた。年度が変わってからは部活もできた。
福島県が大変なことになっている。
それは痛いほどわかっていたけれど、中学生のわたしたちにできることなんて、何も無いと思っていた。
だから、彼女がわたしたちを頼ってくれたことがとても嬉しかった。
そんな思いもあり、わたしたち3人は意気込んで道案内をしようとした。
しかし、中学生の土地勘なんて範囲がだいぶ限られている。
地図を見たところで、塾の名前をきいたところで、学区外にあったその塾への道のりは、よくわからない。
なんか、その塾の看板みたことあるなあ、ぐらいだった。
そんなわたしたちをみて、後輩の彼女は、近くに何のお店があるとか、どんな建物があるとかヒントをくれた。
それでようやくわたしたちは、たぶんあっちのほう、というなんとも曖昧な検討をつけた。
よくわかんないし、一緒に行ってみよう!
そうして、3年生3人と1年生1人で編成された自転車隊が、学習塾へ向かって走り出した。
結果、その学習塾にはたどり着くことができた。
曖昧なスタートだった割に、迷わずに着くことができた記憶がある。
「ここまで来れば道わかります!」
途中、彼女はそう言って遠慮した。
「いいから、最後まで送るよ」
それでも、わたしたちは塾のすぐそばまで行った。
辺りはすっかり、薄暗くなっていた。
わたし以外の2人は、家までたいぶ遠回りになってしまった。でも、そんなこと本当に関係なかった。
あの学習塾から家へ向かうわたしたちは、とても充実した表情をしていたに違いない。
あの頃のわたしは、わたしたちは、本当に無力だった。
対峙すべき相手が大きすぎた。
対峙するには、知らないことが多すぎた。
わかるようになってきたころには、課題や問題が、知りきれないほど山積みになっていた。
どうすればいいかなんて、分からなかった。
実際、今でもあまり、分かっていない。
それでもひとつ、確実に言えることは、
あの頃のわたしたちが、誰かの力になりたいと思っていたということだ。
自分がどんなに無力だとしても。
あれから10年が経ち、わたしはふと、このことを思い出した。
そして、純粋に「誰かの力になりたい」と思う気持ちって、実はとても大切なんじゃないかと思った。
大人になればなるほど、邪推や打算が純粋な気持ちを霞ませる。
純粋な気持ちでいることができても、勇気がなければ行動できない。勇気ある行動を阻むのも、邪推や打算かもしれない。
そんなつまらないものにまみれて、何もできなくなってしまうことは、とても悲しいし悔しい。
特にわたしは、何事においても、あれこれ考えているうちに行動せずに終わってしまう、ということが多いほうだ。
考えることも大切。
だけど、自信を持ってそれが純粋な気持ちだと言えるのなら、勇気を持って行動することはもっと大切だ。
これからを生きるわたしにとって、これはとても重要なことだ。
10年ごしに、あの出来事から教えてもらった。
後輩のあの子には、あの時わたしたちの気持ちを受け取ってくれてありがとうと伝えたい。
元気にしてるかなあ。
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