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『ゲド戦記』がすき


3週連続ジブリ祭り!
夏はジブリ!
秋はジブリ!
冬もジブリ!

金曜ロードショーの次回予告でいちばんわくわくする文言である。

わたしはジブリ作品のなかでゲド戦記がいちばん好きだ。

…いや、アシタカとサンも好きすぎるし、
ハクが本名を思い出すシーンも泣けるし、
かぐや姫が最後に地球を振り返るところも胸が張り裂けそうになる。

トトロがくれるどんぐりの包みも
ジジを助けてくれる犬も
バルスも、ナウシカも好き。
ハウルもバロンもポルコもかっこいい。

言い出したらキリがない。

やっぱり、ジブリの中でどれがいちばんかなんて決められない。

だけどそのなかでもゲド戦記は特に、何回みても刺さる。
しかも毎回違う角度から刺してくる。

初めて観たときは、テルーの生き様が刺さった。

「命を大切にしないやつなんて大嫌いだ」

そう言ったテルーの芯の強さと、夕暮れに一人でテルーの唄を口ずさむ儚さが、痛かった。
ただ黙って涙を流すアレンは、わたしそのものだった。

次に観たときは、ハイタカの言葉が刺さった。

自分がいつか死ぬことを知っているということは、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ。

わたしも、ハイタカと一緒に旅をしたい。
ハイタカのような人に出会うために、旅をしたい。
これは切実な願いだ。

そして、いちばん最近に観たときには、映画のなかの世界の様子が刺さった。

この世界の森羅万象はすべて均衡の上になり立っている。風や海も、大地や光の力も、獣や緑の草木もすべては均衡を崩さぬ範囲で正しく動いている。

これはハイタカのセリフだ。
魔法使いの長であるハイタカは、世界の魔法の力が弱まっていると言う。

いま起きているのは均衡を崩そうとする動きだ。そんなことが出来る生きものはこの地上には一種類しかいない


世界は、人間のためだけにあるのではない。
人間の社会で人間として生きていると、こんな当たり前のことを忘れてしまう。
当たり前のことやものはいつだって、いちばん大切なことやものだ。

主人公のアレンは、弱い。
でもその弱さは、いまを生きる人々みんなが共感できる弱さだと思う。
わたしも、わたしはアレンだ、と思ったうちの1人だ。

人間は、つい目の前のことにいっぱいいっぱいになって、生きている意味とか自分の存在価値とか、小さな範囲で考えすぎてしまうけれど、世界はもっとずっと広い
だから、あまり人間にしか通用しない価値に縛られすぎずに、そのまんまでいればいいのだ。

そのまんまでいるだけで、素晴らしいこと。すごいこと。
ハイタカやテルーはきっと、それをちゃんと知っているのだと、わたしは思う。

ゲド戦記は、終始わたしの心をキリキリと締め付けてくるけれど、最後の最後には癒してくれて、柔らかな希望をくれる。
この癒しと希望があるおかげで、わたしはまだまだここにいられる。

だから、この映画は何度でも見てしまうのだ。

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