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模写の風景 画家の心 第31回「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ テオドロス・ファン・ゴッホの肖像 1887年3~4月」

1887年、ビンセントの弟テオは30歳の若さで老舗画廊グービル商会パリ支店の支配人となった。その嬉しい報告に、兄の元にシルクハットをかぶり正装をして出かけてきた。
 

兄は弟の出世の祝いに肖像画を描いた。シルクハットを取り、自分の麦わら帽子をかぶせた。弟は困った兄だなと、顔をしかめる。その一瞬までも捕らえた肖像画だ。

後にゴッホのトレードカラーになる黄色と反対色の青を大胆に配色した画期的な絵だ。ゴッホはこの年を境にして印象派的な技法から離れていくことになる。
この絵は我々の知るゴッホが誕生した一枚と言えるのではないだろうか。

テオは兄がキャンバスに向かっているその間、自分たちの将来について話し合っていただろう。例えばこんなふうに…。
「支配人になっておめでとう。お前は俺と違って本当に出来がいい。自慢の弟だよ」
「兄さんこそ素晴らしいよ。兄さんの絵は、今は売れてないけど、きっと僕が売ってみせるからね」
「嬉しいねぇ、頼むよ」

 こうしてテオは不遇の兄に全面的に援助を送るが、それからわずか3年後、ふたりは共に自殺してしまう。兄は拳銃で、弟はビルから飛び降りた。お互いを思いやる本当に仲にいい兄弟の間にいったい何があったのだろうか。

 テオの肖像を模写すると、彼の耳が異常に赤いことに気が付いた。きっとテオの耳は本当に赤かったのだろう。テオは兄ビンセントと比べてもきゃしゃな体付きで、一見気が弱そうに見える。

 テオは子供のころ、近所の悪ガキに「赤耳のテオ」などとはやし立てられ、いじめられていた。それを助けたのが四歳上のフィンセントだった。そして兄は泣いている弟に楽しい絵を描き慰めた。

テオにとって兄は、親以上に頼れる頼もしい存在だったに違いない。
だからテオはフィンセントに、兄の才能に賭けることができたのだ。

しかし、そのようは麗しい関係はいつまでも続けるわけにはいかない。テオが可愛いヨハンナと結婚し、子どもができる。ちょうどそのころテオはグービル商会を辞め独立したが商売はうまくいかなかった。そのためこれまでのような援助はできないと兄に伝えた。

それを苦に兄は自殺した。そう思い込んだテオはそれを悔やみ、精神にまで異常をきたす。ついには自分自身をも死に追いやってしまった。

ゴッホは、以前巡教師になれなくなった後、数年のあいだ放浪していた事もあるほどで、金がないだけで自殺するような弱い人間ではない。それに敬虔なクリスチャンは、自殺は固く禁じれれている。

再び疑問は湧きあがる。ではどうしてゴッホは死んだのだ。
さてこの事件で一番の気の毒な被害者は誰だろうか。
それは、テオドロス・ファン・ゴッホに違いない。

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