学芸美術 画家の心 第69回「ジョン=エバレット・ミレイ オフィーリア 1851年」
オフィーリアはシェークスピアの戯曲「ハムレット」の妃候補として登場するヒロイン。
オフィーリアは、ハムレット王子の王妃の指示で美しい花を取ろうとして誤って川に落ち死ぬ。そのときの姿を、ミレイは白い肌の怪しい美しさを有する姿で描いた。
1852年の発表当時は、肌の色が白すぎて気味悪がられたが、やがてその構成の素晴らしさと美しさが称えられるようになり、ミレイの出世作のひとつになる。
ミレー(第68回 晩鐘)と今回のミレイ、同じ人物かと思いきや、ふたりはまったくの別人。
ミレーは1814年フランス・ノルマンディーの貧しい農家に生まれ、ミレイは1829年イギリス・サザンプトンの馬具製造販売業者の息子として、比較的裕福な家庭で生を得る。ミレーの方が15歳ほど先輩になる。
ミレーの顔つきはフランス人らしい丸顔で、ミレイは面長の典型的なイギリス人の顔立ちをしている。
そして、ふたりの画風は顔つきと同様まったく違っている。ミレーはバルビゾン派から前期印象派のような絵を描き、ミレイはラファエル前派と呼ばれる300年ほど前のイタリアの画人ラファエロが描いていたより以前の古い古典主義ともいえる絵の流れをくんでいた。
ミレイが画家になる経緯だが、ミレイの父は息子の画才を認めると、10歳になった息子を連れロンドンに移り住み、ミレイをロイヤル・アカデミーに入塾させる。16歳でロイヤル・アカデミーに入賞するほどの技量を有するようになるが、19歳のときアカデミーを去り、仲間とともにラファエル前派を結成する。
そして24歳になったミレイは満を持して「オフィーリア」を発表した。
発表当時のイギリスは、フランスより文化的に遅れていたが、それを証明するようなふたりの画風だ。
ミレイの考え方はミレーのものより時代的に遅れてはいたが、残された絵から受ける感動は見る者にとって大きな違いはない。
それはいったいどういう理由からなのだろうか。
ひとが絵を見て受ける感動は、その対象が古いものであろうと現代アーティストが描いた絵やものであろうと、そこに大きな違いはないように思う。
そうであるならば、ヒトの美意識はそれを見た瞬間、その作者の心に入り込み、いや、そうじゃない。作者が自分の心の隙間に入り込み、寄り添った結果だろう。作者の心や想いは時空を超え、画面からほとばしっているのである。
そういったある種の感動をより多くの人びとが感じることができ、与えることができるものを、きっとそれを名画と呼ぶのだろう。
そして、それを深く感じることができるのは、きっとわたしたちホモサピエンスだけ、つまり人類だけに与えられた特権だろう。
この感覚と感情は、今後数十年、いや数年以内に完全な人工知能(GAI)が生まれてくるだろうが、わたしたち人類は未来永劫、子々孫々この感覚と感情を大切に守り、保有し続けなければならない。
では人類は、上に記した感情や感覚をいつどこで、どのようにして会得したのだろうか…。
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