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「コラム 最終回の最終回」

もう10年前になります。3・11の東日本大震災で全てのモノをなくした人びとに残されたものは、ヒトとヒトとの『絆』だった。

悲しみを分かち合える『こころ』だった。

だからこそ、東北の人びとが見せたその『絆』に、優しい思いやりに世界中の人びとが感銘を受け、彼らに惜しみない応援のエールを送った。この人びとの『愛』が人間の原点を思い起こさせてくれた。

わたしは東北の人びとと、厳しい受難の住民を助けるために集まったボランティアの人たちが示した優しい行為、行動こそが、「本来の人間性」ではないだろうか。

いや今は、そうに違いないと信じている。

はなしは変わるが、これからは夢を想像し、こころに感じるモノを創造することが大切になってくる。

古(いにしえ)からの言葉がある。
「人は人によって生かされる」。「人は人の役に立って初めて人になる」のである。「ただ単に好きなことをしていれば」人になれるのではないことは、古人(いにしえびと)の言葉を待つまでもない。

ドイツ帝国の名宰相であるオットー・ビスマルク(1815五年~1898年)の名言がある。

――愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。そして聖人は経験から悟る――

さて、このことわざであるが、今では当たり前のように理解されるのだが、時代背景や時代感覚が先の時代と同じか統一されている時にこそ有効なのではないだろうか。

革命時のような社会的通念や常識が、天と地がひっくり返るほどの大転換期には、その姿はまったく異なる様相を現す。

これまでの産業革命以上の大変革になる第四次産業革命に立ち向かうために次の言葉を送りたい。

―愚者は歴史に学び、賢者は未来を想像する。そして聖人は真(もこと)の未来を創る―

歴史に習い、その教訓を生かすことに縛られていては、まったく次元の異なる時代には通用しないのだ。未来を想像し、それにチャレンジし、新たな世界を創造するフロンティア精神こそが重要なのだ。

一言で表すなら未来に向かう『勇気』だ。

残念なことに想定した未来が間違っていることは多くあるだろう。その結果にへこたれず、再びチャレンジする精神力と、それを認め、許す社会構造が求められる。

過去に社会構造や常識が天と地ほどにひっくり返った時代があった。それは明治という日本の産業革命の時代である。

明治の元勲たちの多くは下級武士や商人、農民だった。彼らは、徳川という武士社会が有するヒエラルキーを含む習慣や慣習、慣例のすべてを廃棄し、欧米という「坂の上の雲」(司馬遼太郎「坂の上の雲」(文芸春秋、1969年~1972年))を日本の未来の理想像と見立て、ひたすらに駆け上がり追い求めたのだ。その中には明らかな間違いもあった。

しかし、今日の日本の平和の礎を築いたことも事実である。
まだ遅くはない。これから始まる第四次産業革命に向けて、われわれ一人一人が明治という時代を切り開いた元勲にならなければならない。

 2020年には東京でオリンピックが開催される予定だったが、思わぬ敵が現れた。政府や東京都、IOCとJOCはその開催と成功に向けて頑張っている。選手たちの送迎は人工知能を搭載した無人のバスがするそうだ。

196か国(2015五年日本政府承認)の外国人の案内は、タクシーやバス、あらゆる店や街角、そして広場に設置された人工知能を搭載した自動翻訳機が当たり前のように使われる(「AI同時通訳 五輪までに 政府、成長戦略に明記」(日本経済新聞電子版、2017年4月17日))。

そして、次の2024年、2028年のオリンピックには、さらに高度に発達した人工知能たちが何を見せてくれるのか、楽しみである。きっと想像すらできないものになっているはずだ。

期待も大きいのだが、日本に、いや世界の国々に人工知能という新たな恐怖の暗雲(クラウド)が覆っていないことを、未知なる『神』に祈ることにしよう。


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