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㉑<ない>という不足の世界/ 目醒めと病気とタイムウェーバー -私にとって 病気は本当にGiftだった

大きな3つの解放の後

引き続き、取り組みは約8ヶ月くらい続きました。前職の身体も心もぼろぼろだった状態からの回復なので、それなりの時間はかかりました。が、その間には本当に沢山の発見がありました。

エネルギー不足!

「引き続き生理が起きる身体になるためにどこからアプローチ?」というフォーカステキストを入れていたのですが、よく出てくるのが「エネルギーが足りないよ!」でした。

月に1度〜2度ほどのペースで並木良和さんのワークショップに通っていましたが毎回そこでかなり大きなエネルギーが動いていたようなのです。「エネルギーって目に見えないからいつもと変わらないって思うかもしれないけれど実はすごいことが起きているから今日は良質なお水をとって早めに休んでくださいね」といつも並木さんはおっしゃいますが....私もタイムウェーバー で測定するまでそんなにもエネルギーが動いているなんて自分ではわからなかったです。

でも、それがわかったからワークショップに行くのをやめる、という判断はその時の私にはありませんでした。「この音に触れてみたい」「この世界を開いてみたい」という欲求の方が強かったのです。触れたいものに手を伸ばしてみたいかったのです。

臓器たちは私がそういう魂だということをよく理解してくれていました。そしてその私をバックアップするための連携を臓器たちは張り巡らしてくれていたのです。きっとワークショップに申し込んだ段階で臓器たちは「おい、ワークショップに申し込んだぞ」みたいな会話をしていたり、ワークショップ中は「すごい開放をしようとしているぞ!」みたいな会話をしたりしていたのかもしれません。笑

価値観を見直して!

こに期間、よくメッセージとして出てきたのは「価値観を見直して!」でした。これは「たとえ、ここで物理的に生理が起きたとしても、また同じことを繰り返したら意味がないでしょ。あなたはまだ見直す必要のある、手放す必要のある価値観があるよ!」という意味でした。

事実、そのあとも「刑部さん、私、もうひとふんばり手放さなくてはいけないものがあって。それは <私は都合よく使われる>まだこれが私の中に残っています(そういう現実を映し出しています)。これを終えていかなくてはいけないと捉えています」と何度か開放をした<私は都合よく使われる>をさらに終えていくサポートの依頼をお願いした場面もありました。(時々、インフォスという情報が入った飲み物をいただいていたのですが、この効き目はすごくて。必要な解放がその都合起こりましたし、自分の中では終えていたつもりだったけど、実はまだ残っていた、みたいなものはインフォスを飲むことでしっかりと、どっさりと出てきました)

これはかつて卵巣が「私はミスをおかしていないわ!(完璧な理由で生理を止めているのよ!)」と言っていましたが、本当にその通りで。この段階で生理が来てしまっていたら私は気が付く必要のあるものへの重要度が薄まっていたかもしれません。

『だからこそ、(ここが成長の絶好の機会だからころ)あなたは絶対に揺るぎないものを今、手に入れようとしている』

という膵臓からメッセージが出たこともありました。

現実(身体)を変えようとするのではなく、さらに自分の中で終えていく必要のものを終えることに集中をした期間でした。ともすれば、「身体が元に戻れば、この焦りはなくなるのに、無価値感はなくなるのに」という思考が出てきたりすることももちろんありましたが、たとえ自分の身体であったとしても統合の考え方は一緒だと轍をつくっていく期間でした。

私の場合、特に大事だったのは

『 あなたはあなたの価値観を大事にして 』

ということ。

私の周りにはとても素晴らしい人たちが沢山います。なので気を抜くと、気が付くとそのひとの人生を歩んでいたり、私の人生をそのひとに歩ませていたりすることがありました。

つまり、センタリングが弱かったんですね。

操縦室には誰もいなくて、操縦席に私ひとりが椅子に座っているという状態が必要なのに、気が付くと周りの誰かを私の操縦室に招きいれ、操縦席に座らせて、操縦させていた。

つまり「あれ?でも、これは私が捉えていることとちょっと違うな」と思っても相手の意見に合わせたり、そのひとの正解を探して言葉を紡いだり。

言い換えると、今までの私は気が付くと操縦席に先生を座らせていたり、彼を座らせていたり、母を座らせていたり、上司を座らせていたり、声の大きいひとを座らせていたりしていたわけです。自分を生きていなかった。(この場合、松果体のあたりにある部屋を思い浮かべて、その部屋に誰かいたら、「ここは私の大切な部屋なので」と外に出てもらいます。操縦席にもし誰か座っていたら降りてもらって出てもらいます。そしてあたりをきれいに履き、拭き、跳ね上げ式のゴミ箱にほうきや雑巾を捨てて、エネルギーまでまっさらにクリーニングされた状態で操縦席に座る、というイメージワークをやっていました。また、時間がない時などは鎖骨の下あたりをトントントントン...と複数回叩くのもおすすめです。散らばっていた意識が自分の中心に戻ってきます。)

外に、外に、と意識が向いていた私のセンタリングを強化して「自分の捉えていることを周りをいい意味で気にせずに口に出してみる」つまり「自分への信頼を強固にして、自分への繋がりを強めていく」つまり「完全なる外向きを終えていく」ということが引き続き形を変えてのテーマとなりました。(このnoteも外向きをかなり統合しました)私の場合、それは「自分を生きる」ということにとても大きな関わりがありました。

誰かの価値観にフォーカスするのではなく、誰かの価値観を採用するのではなく、自分の価値観にフォーカスする。つまり、自らの本質に目を向けて、その本質を表現することにOKを出し、それにチャレンジする、がこの取り組みの中で一貫して扱ってきたテーマでした。(このnoteもそのチャレンジのひとつです)

あるという意識

そしてこの頃、気づいたことのひとつに、私の苦しみの根元が <無いという意識> であることとがあります。

無いから欲しいと思う。そしてそれが得られないから苦しみが生じる。その苦しみを解消したくてさらに欲しいと思う。

<ない> <足りない> <私は欠けている> <不十分> <私はもらえていない> <減る> <不足感> <枯渇感>

これらの状態はさまざまな <不足の世界> を作り出します。私は愛情から物質的なものまで様々なことを結晶化しました。

<ある>に目を向けることはとても大事です。ですが、私の場合は、その前のステップが必要でした。つまり、私は<ない>という周波数を使っているのに無理に<ある>に目を向けようにも深いところでは<でもないんだよな>となり、葛藤が生まれ、意識は<ない>に行き、実際に<あるをみようとしているのにますます現実化するない世界>を出現させたりしていたのです。

これらは全て <地球ならではの制限>

全てを生み出せる意識だった私たちがそれを忘れて分離の世界を楽しむために必要不可欠だったもの。

この<ない意識>を終えていくということは。

ただ単に自分が満ちたり、豊かになったりするだけでなく。

この制限意識を抜けていくということは、<無くなる(=死に向かってしまう)>という恐怖から起きていた奪い合いも、争いも、本当は必要なく、みんなそれぞれが必要な<ある>という豊かさを必要なだけ結晶化できるということに気がついていき、<ない>という苦しみや恐怖から究極の分離として戦争まで作り出してきた人類が今まで繰り返してきた眠りの歴史を終えていくことに繋がるんだとわかった時。何かがぱあっと開けた感じがありましたし、なあんだ、というあはは、そっか私はないないないない、欠けている、不足している、足りない、もっともっと、だって、これだけしか無いものと制限の意識を使ってたのか、だからだったのか、気がつかなかったという拍子抜けをしてしまったような気持ちでもありました。

これはこの頃よく逗子のビーチで行っていた夕方の瞑想で浮かんだものでした。

『 瞑想をしてご覧。何か気づきが得られるよ 』

というタイムウェーバー からのおすすめだったのです。

この夏は美しいサンセットを眺めに夕方はビーチに行き、瞑想をし、海を眺め、<ない意識 : 制限意識>を統合する、という時間が過ぎていきました。

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そして<ない><私は欠けている>を統合していった結果、生理が来ないということに対して、ひりひりとする感覚が少しずつ薄れてきて、結果、少しづつ満ちた感覚を感じることがこの頃から増えていきました。


お金の制限を抜ける /  中村咲太さん

https://www.youtube.com/watch?v=u6p4YjAepbE








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