見出し画像

高円誌#03 一本道

「このTシャツ生乾きなんですけど、臭くないすか?大丈夫すかね?」
待ち合わせに10分ほど遅刻した男が高円寺駅のNewDaysの前で何故か照れ笑いをしている。
初対面であるにも関わらず遅刻したことも、挨拶も早々に生乾きのTシャツの匂いを遠慮がちに「嗅ぎますか?」と嗅がせて来ようとすることにもあまり驚きはしなかった。だってここは高円寺だから。

それよりも片手を首の後ろに当ててぽりぽりと掻きながら照れ笑いをする人を初めて目の当たりにしたことに驚いた。漫画でしか見たことがないようなその仕草が一番新鮮だった。
そもそも自分からTシャツの匂いを嗅がせようとして照れていることがおかしいのだけど、初対面だからそれをどう指摘していいのか間合いが分からない。

「いや、暑いし歩いているうちに乾くんじゃないですかね。大丈夫ですよ。」
なんて僕もてきとうな返事をし、二人でぎこちなく歩き始める。

グッナイ小形さんと会って言葉を交わしたのはこの日が初めてだった。


あの日路上ライブで小形さんを見つけてからTwitterのDMで連絡を取り、どういう流れでか撮影をする約束をした。
確か僕がTwitterで小形さんの曲を歌いたいけれど拾えないコードがある的なことを呟いたら、エゴサの鬼である小形さんがそれを発見してDMにギターのコードを送ってくれた。
それからなんとなくやりとりが始まり、コードのお礼に僕も写真を撮らせて欲しいといったような主旨で撮影の約束をし、生乾きのTシャツで今日現れたという訳だ。

僕は映画や舞台、ドラマ、ライブといった「僕のことなんて関係なく舞台の上で物語が進んでいく他人の作品」を写真で残す仕事をしている。
所謂「自分の作品撮り」というものは東京でのスナップ撮影を除いてはほぼせず、他人の作品をまた別の写真という作品にすることを生業としている。
たまにグラビア撮影やどうでしょうキャラバンといったような僕の振る舞いや表情、言葉で相手を左右して撮影する仕事もあるけれど、圧倒的に前者のような撮影の方が多い。

どちらが得意だとか不得意だとかいうことはないが、どのような距離感で撮るのが最適かを瞬時に真剣に考えなければいけないことは共通している。

この日は「小形さんこんなポーズしてください」なんてするよりも一緒にフラフラと散歩をしながらスナップ撮影をして、徐々に言葉や表情のやり取りをしていくのがいいなと直感した。

仕事のグラビアやポートレート撮影という訳でもないから、プライベートの初対面故にどうしてもお互いぎこちなさが付き纏う。
なら台本を作って辿々しくそれを読み上げても仕方ない。
かと言ってラジオのフリートークのように会話できる関係性も今現在はない。
であれば僕と小形さんしか登場人物がいない中で「散歩」とだけト書きされた台本があればいい。

僕が一方的に左右する訳ではなく、普段の会話のようにお互いが左右されながら写真を撮る。
そんな風に普段の2パターンの撮影スタイルをごちゃ混ぜにしたような方法で撮るのがいいだろうななどと色々考えた結果口から出た言葉は、とてもありふれた「まあ、散歩でもしましょう」だった。

それと何より、なんとなくだけど今回の撮影だけで終わるご縁ではない気がしたので、まずはゆっくり言葉を交わしながら小形さんの心地のよい距離を掴みたいと思った。


「僕ね、本当は阿佐ヶ谷に住みたかったんですよ。だから阿佐ヶ谷まで歩きますか」
と小形さんがまた頭をぽりぽり掻きながら笑いかけてくれる。
この人は嬉しいのか困っているのかよく分からない顔で笑う、掴みどころのない人だなあと思った。

7月下旬の夏の青空を頭の上に広げて、高円寺から住宅地を縫うようにして阿佐ヶ谷の方へ進む。
路上に座って歌っている小形さんしか見たことがなかったので、背が高かったことに今更ながら気付いた。
若干小形さんを見上げるようにしながらたまにレンズを向け、歩き、を繰り返す。

電柱に書かれた住所が高円寺からいつの間にか阿佐ヶ谷に変わった頃。
それまでなんとなく会話を続けていた小形さんが、住宅地でふと立ち止まった。
どこからか、誰かが弾いているピアノの音が聞こえて来る。
夏だから窓を開けているのか、遠いけれどくぐもっていない、まあるいままのピアノの音が聞こえる。

小形さんが耳を澄ませながら「覚えておきたくて」と笑った。

耳コピが出来ないどころか、聴覚による情報処理が弱い僕には全くない発想だった。
それに続いて
「祖父が牧師で。僕、教会でオルガン弾いてたから」
とまたしても意外な一面を露わにした。

散歩とだけでも台本(撮影の道筋)にト書きされていれば、不思議とそこに様々な物語が付いてくるから面白い。
予期していなかった物語が白紙に浮かび上がってくる。
話がめちゃくちゃ合う、盛り上がるなんて具合にはならないけれど、お互いに少しずつ言葉を持ち寄りながら阿佐ヶ谷まで歩みを進めるのは悪くなかった。

「そういえば小形さんはどうして阿佐ヶ谷に住もうと思ったんですか?」
阿佐ヶ谷なんていう穏やかな街に住みたい人間が高円寺のような街に住む理由があまり考えられなかったので素直に質問してみる。

「友部正人さんって知ってます?あの人の一本道っていう歌がね、好きで…その歌詞に阿佐ヶ谷が出てくるんですよ。僕北海道出身だから。その歌を聴いて東京と言ったら阿佐ヶ谷っていうイメージしかなかったんですよね。でも阿佐ヶ谷にいい物件が見つからなくて高円寺に住み始めたんです。」
と話してくれた。今度は頭を掻かずに、一語一語を大事に手渡してくれるように語りかけてくる。

「ふと後を振り返ると そこには夕焼けがありました…」
と小形さんが友部正人さんの一本道の歌詞を読み上げる。
阿佐ヶ谷という単語が出てくるまでの詩を、何も見ずに丁寧に口にする。
ロマンチックに詩を読み上げるような素振りではなく、これまで何度も何度も小形さんはこの歌詞を読んでは聴き、歌いを繰り返してきたんだろうと分かるような読み方だった。
新品の本ではなく、少し茶色く焼けた優しい古本のような読み方と、詩だなあと思った。



そして僕にとってのミチロウさんは、小形さんにとっての友部さんだったのかもしれないなあと、なんとなく思った。



阿佐ヶ谷に着いてから中華屋で定食を頼み、二人で遅めの昼ごはんをすませる。
人とご飯を食べるのは得意ではないけれど、向かいの席で小形さんは何にお構いする訳でもなく麻婆豆腐に夢中になっているようだったので僕も恐る恐る自分の定食をつまむ。
人に見守られると餌を食べないのに、少し離れて素知らぬフリをされると食べ出す野良猫のことを思い出した。
構われなければ食える。お前らもこんな気持ちだったのかと、故郷の野良猫たちのことを思い出した。

店を出ると昨日までの雨に洗い流された青空がさっきよりも輝いている。
小形さんは僕の定食代をどうしても受け取ってくれない。
「写真!撮ってもらったから!いらない!です!」と笑いながら阿佐ヶ谷駅まで小走りしだし、僕の千円札をついに受け取らなかった。
またしても野良猫のごとく、僕は餌付けをされてしまった。

阿佐ヶ谷駅前の喫煙所で煙草を吸う。
ハイライトのパッケージの青よりも濃い青空の下で、頼りない雲のような煙を吐き出した。
見渡す限りの緑ももう安心しきったように葉を伸ばし、夏を謳歌しているようだ。

「梅雨が明けましたね」と小形さんは笑う。
そしてその日は本当に東京の梅雨明けの日になった。

フィルムが数本なくなったところで来た道とはまた違うルートで我々は高円寺へ帰ることにした。
高円寺までの帰路、ふと小形さんが白い大きな大きな鉄塔を指さす。

「あれね、13本あるんだって。やっくんがそう言ってた」

やっくんが誰なのかは分からないけれど何故かその言葉は猛烈に僕の頭に焼き付き、それからその白い鉄塔に出くわすたびに小形さんのこの言葉をどうしても思い出してしまうようになった。

走馬灯なんてものもきっとそんな「どうして覚えているか分からないけれど残っている出来事」で構成されているのだろうと思った。
ファイル名をわざわざ付けるまでもないような日々のスライドショー。走馬灯。
僕はこれからこの街で、たくさんの走馬灯のような出来事に巡り合っていく。



あの大きな白い鉄塔、13本あるんだって。やっくんって人が言ってたらしいけど、やっくんって誰なのかは分からない。
いつか北口ロータリーの噴水に金魚が放されたことがあったんだけど、あれ実は鯉だったらしいよ。
社長って名前のホームレスは刑務所に3回入っているし、自転車男は自転車しか財産がないんだって。
タブチのカレーはスケボーくらいの大きいお皿で、門一のおじさんは次から次へと飯を出してくれるし、小形さんは今日も水色の煙草を吸っている。


出発地点と目的地点が入れ替わっただけでも、そこに辿り着くには複数の道が出来る。
高円寺から阿佐ヶ谷までも、阿佐ヶ谷から高円寺までにしても、辿り着くにはいくつもの道のりがある。
僕が君の家に行く道と、君が僕の家へ向かう道のりもきっと少しずつ違っているのだろう。
それでも振り返えれば後に一本道が出来ていて、そしてもう、日は暮れている。


高円寺駅で小形さんと解散する。
今日撮影したフィルムの写真を送るために連絡先を交換した。お互いお礼やら挨拶やらを早々に済ませ「これから僕バイトなんで、さようなら!」と小形さんはさっき道端で拾った竹を振って改札へ消える。
僕も「さようなら」と、同様にさっき拾った竹を改札に向かって小さく振る。
お互い小学生のようにお気に入りの枝を拾い、小学生のように「さようなら」と挨拶をする。

大人が「さようなら」と挨拶しないのはまた会えない可能性があることを知っているからで、小学生が「さようなら」と挨拶するのは明日もまた会えると無条件に信じられるからだと思う。
「さようなら」は本当のさようならに遠い者しか使うことが出来ないのだ。


また会えることを知っているからさようなら。
また会うためにさようなら。


夕暮れに差し掛かった高円寺駅の改札を抜け、中央線に揺られて小形さんがバイトへ向かう。
僕はこのままフィルムを現像しに中野まで歩こうと思う。
竹を持ったまま阿佐ヶ谷の方を振り返る。
家に帰ったら友部正人さんの一本道を聴いてみよう。

僕たちのこの一本道は何処へ続いているのだろう。


小岩井より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?