岩手県野田村・白礼干さんの南部玉味噌
今もなお南部玉味噌を作るおばあちゃんを訪ねた時の記録です。
思えば沿岸の白礼干さんに出会ってから3月11日に味噌玉を吊るすようになりました。
南部玉味噌作りのおばあちゃんを知る
野田塩で有名な野田村は岩手県北部の沿岸地域。NHKの朝の連続ドラマ「あまちゃん」の舞台となった久慈市の近くに位置します。
岩手日報の一面に季節の風物詩的として吊るされた味噌玉と共に映るおばあちゃん。北田白礼干(ハレニ)さんの存在を知りました。
その時のことを書いたTumblrのリンクを貼ります。
玉味噌を作るところにどんぐり有り
2019年4月、それまでお手紙や電話で親交を温めていた白礼干さんをいよいよ訪ねる日がやって参りました。
先ずは野田駅に隣接する道の駅のだにある「産直ぱあぷる」に寄り野田塩ソフトを食べ、白礼干さんのお味噌を購入。
なんとお惣菜も出しておられました。
それとこちらの産直名物の「しだみもち」もゲット。
しだみ(すだみ)とは“どんぐり”のこと。あくの強いどんぐりを餡子にする手間隙がとてつもないことは想像に難くないのですが、作ってみれば尚更のこと。それでも他にはない独特の味わいがあり何とも染み入ります。
私もコナラを拾い、灰汁抜きをしてシュトーレンのマジパン代わりに使ったことがあるのですが、なかなかの好評でした。
http://nodaeki.com/sanchoku/
働き者の南部の女性と津波を免れた味噌玉
さて、いよいよ白礼干さんのお宅へ。
家の敷地内にある工房前で出迎えてくれました。訪問当時86歳の働き者のおばあちゃんは膝を庇いつつもがっちりとした身体つきで現役感がみなぎっておられました。
若かりし頃は縫製工場に勤められ、婦人会の食改善グループに所属。
54歳で味噌販売を始め
58歳で運転免許を取得
62歳で調理師免許を取得
78歳の時に東日本大震災に見舞われました。
津波は白礼干さんの工房までも押し寄せ、床上70センチまで浸水し全ての味噌を投げた(廃棄した)そうです。
工房の白壁に浸水ラインが刻まれており胸が痛みました。
写真は大豆を煮る大きなかまどです。
壁の色から浸水ラインがわかりますでしょうか。
毎年2月頃このかまどで大豆を煮てミンサーで潰し、玉にして吊るすのですが、味噌玉は吊るされているから難を逃れることが出来たのです。
味噌桶の味噌が全滅しても、味噌を仕込めることが出来たのは不幸中の幸いでした。
白礼干さんの味噌玉は海こそ見えないけれど潮風を感じる窓辺に吊るされてありました。
玉はずっしりと大きく丸みを帯びた美しい釣鐘形で、田植えが終わる頃まで吊るしておくのだそうです。
この場に住み着く天然の麹カビが、一年に一度大豆を潰した玉が吊るされると一斉に取り付き、大豆のタンパク質を分解させて味噌へと変える。
なんという神秘でしょうか。
白礼干さんの南部玉味噌の味
白礼干さんの味噌作りは、米麹を三割ほど加えています。
大変な手間が掛かるため乾燥大豆四斗で大きな木桶ひとつのみとしているとのこと。米麹7割味噌も作っているのですから大した量です。
子供の頃の記憶を辿り、試行錯誤を繰り返してきた白礼干さんの南部玉味噌を懐かしい昔馴染みの味として根強いファンが支えています。
私にとっては物珍しいお味噌であるのですが、これが干し葉大根やわかめと出会うとなんとも言えない美味しさを放ちます。
蕨を入れた納豆汁にもとても合うのです。
韓国のメジュと酷似した味噌玉ですから、当然キムチチゲにもよく合う。
発酵仲間の作ったテンジャンをいただいたことがあるのですが、雰囲気はよく似ていました。
味噌は、その土地の歴史文化民族性を物語ってくれます。
郷土に伝わるその土地ならではの食を各地で継承して行って欲しいと願います。
白礼干さんに、米麹を入れないで作ってみた私の玉味噌を味わっていただきました。
「いんでねえすか」と一言。
そしておもむろに吊るされた一対の玉を外し、縄で結ぶところを見せてくれました。
ブログを書くにあたりお電話をしたところ、「今年も吊るしてらった?」と静かに矍鑠(かくしゃく)としたお声が。
88歳の今日も産直にお惣菜を卸し、野菜の種まきをして苗も販売するのだとか。
驚愕する私に「まだまだこれからでねすか」と葉っぱを掛けられてしまいました。
我が家の味噌玉がゆらゆら笑っていました。