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神の采配が分からない

現在ヨーロッパでは4年に1度の国別サッカー大会「ユーロ(ヨーロッパ選手権)」が行われている。開催国はドイツだが、イングランドは決勝まで無事進んだ(今夜20時に決勝戦)。

当然のことだが、イングランドでは大変もりあがっている。

今回私は、グループリーグからノックアウトステージまで、イングランド戦は全試合をテレビORネット配信で視聴している。

7月11日(水)の準決勝、オランダ戦は近所のパブで視聴した。

↑写真ではガラガラの店内に見えますが、そうではない。大画面エリアがいっぱいだったので、スペースがある入り口付近に押し出されてしまっただけなのです。

テレビは小さいものの、同じ境遇の数人&バーカウンターに立っているスタッフの方たちと一緒に観戦した。

サッカーについて蘊蓄を言えるほど全く詳しくないワタクシだが、ド素人の目にも「この試合は大変良い試合だった」と言えるような試合だった。どちらが勝ってもおかしくないスピード感のある素晴らしい試合。

最後の最後にイングランド側がシュートを決め、2-1で勝利した。

オリー・ワトキンスが点を決めたのはなんと90分時点。そこから1分間、アディショナルタイムがあったがイングランド側は選手交代等をして時間を稼いだ(オランダ側も選手交代をしたが、これは「まだ出場していない選手を出してあげる」だけの意味だったはず)。

すぐに笛がなり、試合終了。

パブで観戦していた人たちは皆イングランドを応援しているので、もちろん大喜び。その場にいる人みんなで握手したり、ハイタッチをしたり、ハグをしたりしてお祭り騒ぎになった。

私もイングランド(ロンドン)に住んでおり、イングランドを応援するためにパブに行ったのだ。だから嬉しいことは嬉しいのだけれど… テレビで映し出されるオランダ選手の泣き顔を見ると、ただただ「良かった~」という気持になれない。

オランダだって、こんなに頑張ったのになぜ?
ものすごく悲しいだろうに。
どうして勝者と敗者にわかれるのだろう?
大勝負、どちらの側も「神様、勝たせてください」と祈ったはずだ。

人生とは、世の中とは、なんでこんなにも理不尽なのだろう?

・・・というグルグルが始まる。
そして「またか」と思う。

毎回そうなのだ。負けた側の方の気持ちばかりが響く。

そして「なぜ勝ち負けがあるのか?」という答えのない疑問に打ちのめされ、やりきれない気持ちになる。

「勝利の女神」って両方を向けないの?
「神」なら平等に人を愛してるはずなのに。

このグルグルが終わることはないのだが、隣にいる夫がこんなことを言った。

「アディショナルタイムを選手交代に使うのも、勝つための手段であり、監督の裁量の1つ」
「サッカーがなぜこんなに人気かって言うと、残酷なゲームだから。だから人々を熱狂させるんだよ」

なるほど、とも思う。
この世を上手くいきていくための裁量は大事だ。

しかし世の中の理不尽を見るたびに「神の采配が分からない」に繋がってしまう私なので、ますますやりきれない気持ちになる。

このやりきれなさを一生抱えて生きていくのか、と思うと重いけれど、答えが見つかるとも思えない。ずっとずっと重いまま。

今夜はEUROの決勝戦。

イングランドの選手もスペインの選手も必死で祈っているはずだ。
勝利を確信し、試合に臨むだろう。

でも決勝戦に引き分けはない。
残酷な結果をあと数時間後、この世のすべての人が知ることになる。

勝利をただただ喜んだり、
負けることに疑問を持たない
そんな風に生きていきたいのだけれど。

もやもやしつつも、イングランドの応援にまたパブ観戦に行ってきます。


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