【うつ病】小5〜22歳までの体験談をゆる〜く
みなさまこんにちは( ´ω` )/
(私は今とてもと眠いけれど、カップヌードルを作ってしまったから何とか起きて食べなければならない状況。眠りたい、でも洗濯もしなきゃ、あ〜眠い)
私は、小学5年生の時にうつ病を発症しました。と言ってもその当時は自分がうつ病だなんて自覚はなく、ただただおかしいな〜と思っていました。原因は、親の離婚です。あるある話。私は弟共に父方に引き取られたのですが、母親が居ない寂しさにどうも耐えられなかったようです。
というのも、母親は超絶厳しい人で、特に長女である私にはずっと怒っていました。「なんでこんなことも出来ないの」は口癖で、私のドMは母親によって形成されたものだと思われます。そんな厳しい人間であれば、居なくなって清々するかと思いきや、社会的常識を押し付けられていた今までが急に無くなったことで、どう過ごしていいか分からなくなりました。
小5の時に私は遺言書を書いてました。(普通遺書だろと誰か突っ込んで欲しい)家族写真をビリビリに破いたり、テープをボロボロにしたり、とっても荒れていました。友達との付き合い方もそこで変わりました。元々、友達関係というものが苦手でしたが、そこで更に加速しました。
部活も怖くて入ることが出来ず、くら〜い日々を送りました。(それはそれは暗い毎日)1番楽しかったのは高校です。ようやく今でも仲良くしている友人が出来ました。しかし、高校でもうつ病は治りませんでした。突然どこかに消えたり(迷惑)、リストカットをしたり(迷惑2)、お酒を呑んでみたり(若気の至り)、小学生の頃よりも行動はエスカレートしていました。
私は過去に2回死んだことがあります。(さようなら〜)1回目は、高校生の時で薬を大量摂取しました。家族はそのことを知らず、普通に病院に連れていかれ、胃腸風邪と診断されました。(このヤブ医者め!笑)2回目は、大人になってからで、これまた薬の大量摂取でした。その時は、薬では何ともなく、過呼吸で搬送されました。(あ、救急車は乗っていません)
そんなこんなで、今までの人生は苦しいことが大半でしたが、25歳の時に私に転機が起きました。(おお!)当時付き合っていた彼が居たのですが、私はまた鬱を発症してしまいました。彼は大変優しい方でいつも私を笑わせてくれました。(ありがとう)そんな彼が、「俺の為でいいから生きて」と言ったんです。その言葉は今まで色んな人に掛けて貰った言葉より遥かに強いもので、私の心に刺さりました。
今は彼とは別の道を歩んでいますが、辛いことがあったり悩んでまた鬱になりかけたときにはこの言葉を思い出しています。「そうだそうだ、私を必要としてくれている人もいるんだ。生きなきゃ」と思えるようになりました。そこからなるべく前向きに考えるようにしています。(ポジティブいぇい)
今は仕事も安定し、長いこと鬱を発症していません。
周りの方に感謝しています( ´ω` )/(アリガトウアリガトウ)
今もずっと私の生きる意味も目的も分からないけれど、明日が来る限り生き続けると思うので、重くなる時もそう出ない時もこのまんま生きて行けたらいいなと思います♪特に楽しいと思うことも無く、かなり辛いと思うことも無く平凡に淡々と過ごしていきたいです。
以上がゆる〜い私のうつ病体験記でした。
最後まで読んで頂き、どうもありがとうございました(*´˘`*)♡