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第40話 卒業写真と足りない単位

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カメラを首から下げて、卒業写真用の楽しい様子を撮っていく同級生。

少人数なので、なかなか濃いメンバーで個性があります。ここに写真を載せられたらいいのにね。

最高の笑顔でカメラに近づいて撮られようとしてる女の子、その後ろでふざけている男の子のも一緒に激写!
最高の1枚でした。

皆それぞれに進路も決まり、卒業式の練習も始まりました。校歌の練習も。

担任の現代国語の先生である小川タカ子先生は、私達が最後の生徒とのこと。
定年退職なのです。

小川先生には、小説家の佐藤愛子さんの本を紹介してくれたり、「障害者の母」という作文を書いた時には、何度も添削していただいたり、本当にお世話になりました。

AIDS(エイズ=後天性免疫不全症候群)の授業や新聞からの天声人語の授業、教科書にとらわれず私達の糧になる授業を詰め込んでくれました。感謝に絶えません。

色々な温かい先生達ともお別れなんですから。東大卒の先生もいて、意欲と気概さえあれば学びたい放題の温室でした。

ジンダイアケボノ
まだソメイヨシノが固い頃、この桜は咲いていました。

さて、困ったのは私の透析と管の交換で欠席しまくってた授業分です。

家庭科は30cmくらいのクマのぬいぐるみを作って提出し、単位を取れました。小学校で手芸クラブに入っていたので、それからテディベアが作れるキットを買ってきて、1人で作っていた経験が役立ちました。提出したクマは、その後に1階の小学部に持っていき、欲しい子にあげました。

他はプリントを解いて提出したのです。病棟に先生が来て下さり、マンツーマンでの指導もありました。

当たり前に毎日元気に学校へ行ける事って、幸せな事ですよね。
私のいない時に、皆で学校の正面玄関を出た所で写真を撮っていたらしく、後に出来上がった卒業写真を見て寂しく思いました。

シンちゃんは亡くなってていないけど。
週3回4時間ずつの透析と2週間に一度の管交換は、皆との距離はできてましたが自分と向き合い、それでも生きていくという心の準備期間になりました。

そうそう、今更ですが養護学校高等部の制服はオーダーメイドなんですよ!細くて小さな子や2mありそうな男の子までいて、病気の特性上オーダーメイド。

初めて入学前に母と制服を買う為に、指定された名古屋のデパートへ行って、学校名を告げるとササッと制服売り場の隅に連れていかれ、腕の袖丈などをパパッと計られました。びっくりしましたね。

中学部3年生の時、高等部を受験した時もびっくりしました。試験と面接はありましたが、誰1人落ちないんです。校門に貼り出された数字は全員合格。
どういった仕組みなのでしょうか??

先生の人数は多く、職員室には50くらいの机があります。色んな病院の院内学級へ車で行っているようでした。そうですよね、入りたくても来れない子もいるんでしょうから。随分と自分がラッキーなんだと知りました。


薬の自己管理や体調管理、ちゃんとした生活リズムを学べた貴重な4年間でした。
見守ってくれた人、恵まれた同級生や先輩と後輩、全てに感謝しています。

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