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パリで養子を考えるまで(3)


卵子あげるよ

2018年の秋、私の卵子が採卵できず行き詰まってしまった私たちは、スペインでの匿名ドナーによる卵子提供を考え始めました。ヨーロッパではスペインが卵子提供のメッカ。定期的にパリでも説明会を行っており、私たちもそこに参加するところからはじめました。

そのことを両親に話した時のことをまだ覚えています。DNAのつながりのない卵子の提供を受け、夫の精子と体外受精をおこない、私の子宮に移植をする。このことを父親に話した時の第一声は、「それはじゃあ、うちの遺伝子がつながらないということ?」と言うもの。

なんともショックな言葉でした。父はあまり考えずに口にしたんでしょう。私は怒りが沸々と湧いて、「そりゃできることならそうしたいけど、無理だからこういう話をしてるんでしょ」と、母親にもその怒りをぶつけました。

不妊について日々少しずつ考えてきた私たちと、初めて話を聞く両親では消化できるスピードはもちろん違うのので、今は単純に時間が必要だったということがわかるのですが、その時には思ったような反応がかえってこなかったことに傷つきました。

私たちが子供を持つ時に、自分達の家族にもその一員として受け入れてもらえるかというのは大きなポイントでした。なので、なるべくなら両親にもすんなり受けられるオプションがいいなとは思っていました。

そして、私の妹にはふたりの子供がおり、同じ遺伝子がいいなら、妹の卵子ならというオプションを考えないわけではありませんでした。ただ、フランスでは、卵子ドナーの提供は、匿名であることが推奨されています。不妊治療の担当医からは、なぜ匿名のドナーが推奨されるのかという説明は受けていました。実際に事実確認をしたわけではないのですが、姉妹間で卵子提供があったのちに、卵子を提供した方の子供が亡くなり、卵子提供をして生まれた子供を自分の子供として親権を主張して法廷闘争に発展したという話があったそうです。

確かにこれをきくと、卵子提供を巡って家族間でトラブルを抱えるのはいやでした。離れていても妹は大人になってから、信頼できる親友のような存在で、その関係にヒビを入れるようなことはしたくなかったのです。なので、自分からその話を切り出すことも躊躇われました。本当はいやだけど、姉のために我慢して卵子を提供する、というのは、本意でなかったからです。

結果からいうと、翌日には、母親から話を聞いた妹から連絡があり、彼女から卵子の提供をうけることになりました。
その時には、卵子提供したくないから言うわけではないけれど、前置きをしてから、彼女自身は卵子提供・体外受精のほかにも養子縁組と言うオプションもあるのではないか、などの話もしました。卵子を提供するのはやぶさかでないとのことでした。

私の心配事は、仮に妹から卵子の提供を受けて出産に至った場合、彼女はその子供をどういう気持ちで見るのだろうか、という事でしたが、その点に関しては、ふたり子供をもった経験からすると、妊娠・出産そしてその後の子育てを経て、自分の子供という実感を育んできたので、自分の卵子が他人の体を介して生まれても、自分の子供だと思うことはないのではないかということでした。
また、実際問題、私の生活拠点はフランスである可能性が高く、東京に住む妹とは年に1回会うかどうか。物理的・心理的な距離感もあるだろうなという想像も働きました。

この時点では、私は「両親にすんなり受け入れてもらえる」「同じ遺伝子をもった」妹からの卵子提供は最適なオプションに思えました。夫もそのことに反論はなく、私たちは妹の申し出を受け、ベルギーで妹からの卵子提供を受けて体外受精をすることにしました。


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