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#3 なぜこどもが欲しいのか、言語化してみると

2022年9月現在、フランスで特別養子縁組の待機中です。2019年末に養子縁組を検討しはじめてから、養親の資格を申請した2020年5月までの顛末は、マガジンにまとめているので、そちらもぜひ併せてどうぞ。

養親の資格申請書類を提出し、夏休みが明けると、担当のソーシャルワーカーとの面談がありました。初回は、私と夫のそれぞれの生い立ち、養子を希望するに至るまでの経緯(不妊治療など)などを説明することが求められ、その時にすごく難しい、というか一言で言えないのなぁと思ったのが、なぜこどもが欲しいのか。

改めて考えると不思議ですよね。こどもが欲しいことを説明しなくてはいけない、って。周りはそんなこと訊かれるまでもなく、こどもを持っているし、不妊治療をする時だって、医者はそんなこと訊きません。でも特別養子縁組では「どうしてそこまでして」こどもが欲しいのか、そんなニュアンスが含まれている気がします。

反射的にWhy not ? って答えたくなってしまうけれど、それでは他の人に(というか、ソーシャルワーカーに)わかってもらえないので、もう少し言語化しようと頑張った記憶があります。

私は特別こどもが好きというタイプの人間でもなく、結婚するにあたっては、なんとなくこどもはふたりくらい欲しいな、とは思っていましたが、こどもができなければ、それなりの人生があるような気もしていました。あちこち行くのが好きだったから、20代の頃は「パートナーか子供のどちらかでいい」なんてことも言っていました。

けれど、8回に及ぶ採卵、卵子提供を受けての顕微体外受精、という手を尽くしても、こどもを授かることなく、今も養子というオプションで足掻いているわけです。

もう2年前のことなので、その時にきちんと説明できたかは覚えていないけれど、今改めて「なぜこどもが欲しいか」を言葉にするなら、夫婦としての「プロジェクト」が必要だと感じるし、自分が死ぬ時に誰かの記憶に残っていたいし、できることなら、自分の価値観を共有したいというのが、回答になるでしょうか。

夫婦としての「プロジェクト」が必要だと感じる、のほうからもう少し説明すると、私と夫は30代半ばで、下手したらまだ50年、60年一緒に過ごすのに、夫と共にする「何か」が必要なのでは、という気がしました。

言うまでもなく、こどもを育てるのは、20年に及ぶ一大プロジェクトで、ふたりでできる最も有力なオプシェンなわけです。どこからか、「子育ては暇つぶしじゃない」という声が聞こえてきそうですが、シンプルに何の指標もないまま共に過ごす50年と言うのは、あまりにも長いと思うのです。だから、もしこどもがいなければ、他のかたちでプロジェクトが必要だとも思います。

「人生山あり谷あり」とはよく言ったもので、やはり大変なことはあっても、山を登ってふたりで違う景色が見たい、達成感を味わいたいという願望があるのかなと思います。ちなみにこの夏にキリマンジャロに登頂したので、その時のこともそのうち書きたいと思います。

ふたつめの、死ぬ時に誰かの記憶に残っていたい、という願望。私はごく普通の感覚だと思っていたけれど、この感覚が全くわからない(曰く、死んだ後のことなんて関係ない)という友人もふたりほどいたので、つくづく人の価値観てそれぞれです。

別に介護をしてもらいたいということではなく(むしろそれはプロに頼りたい)、私が誰の記憶にも残っていなかったら、私の人生って存在したのか?とか、ちょっと哲学的な世界に入ってしまうので、ここら辺に留めておくとして、私にはごく自然に、身近な人の記憶に残っていたいし、でないと寂しい、というエゴがあると言うことです。

このふたつは、どちらも本当にそう思っているのだけれど、それだけでも正解でもない気がして、もう一歩考えると、自然と想起されるのが、妹にこどもが生まれた時のこと

妹にこどもが生まれたとき、実家は大いに盛り上がりました。家族が次世代につながる、それは言葉には言い表せないポジティブなパワーで包まれました。初孫に相好を崩す父や、こども好きとはいえない母も不器用にもかわいがる様子をみると、いいなって思いました。すごく、シンプルに。

この新しい生命体の、ひとりでは生きていけないこの生き物が周りに与えるパワー。これ以上に説明しなくちゃいけないのかな。問答無用に周りを幸せにしてしまう気がします。そして、その小さな生き物を見ながら、私は両親から受け継いだ何かが、私の血肉となっていて、それが次世代に繋がっていったらいいなぁ、と思ったりもします。

こどもは親のために存在するわけではない。これは真理だと思います。でも結局、何はともあれ、誰しも親のエゴによって生まれたわけです。

そして親のエゴによって生まれたはいいけれど、諸事情により実親が育てられないということがあるならば、そのエゴを満たせていない(こどもが欲しいけれどいない)養親のもとで、こどもはすくすくと自分のために成長してほしいと思う訳です。



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