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日本人への長い道のり

日本では、ウクライナ出身・日本育ちの椎野カロリーナさんがミス日本になったとか、辞退したとか。厳しいなぁ。育ちが日本、思考回路も日本語、帰化して国籍も日本。彼女の「日本人らしからぬ」風貌が注目を呼び、プライベート暴露に巻き込まれ、辞退に追い込まれた、と理解している。個人的にはミス日本も彼女の私生活も興味ないけれど、気の毒としかいいようがない。

これから誰を「日本人」と呼ぶかに関しては考えさせられる。我が家には、帰化しない限り、国籍上の日本人になることがない一生と、大阪なおみ選手レベルのテニスプレイヤーにでもなれば、国籍選択を迫られる日仏二重国籍の二葉がいる。(詳細はこちら↓)

旧来はきっと、日本人は生まれた時から当然のように日本人だったし、生まれたときに日本人でなければ、日本人になることはなかった。

日本人と呼ぶために関係ありそうな要素として、ぱっと思いつくのは、日本人である父母、国籍、生まれ育った場所、母語としての日本語、「日本人らしい」外見、といったところか。

これらを総合的に勘案し、すべてマルがついた100点満点が「純ジャパ」(って今も言うのかな)になるし、あとはそれぞれわかりやすい一言で「日系人」「ハーフ」「帰国子女」「帰化人」「在日〇〇人」「日本在住〇〇年で、日本語が流ちょうな外国人」といったラベルを貼っていく。全部ひっくるめて「日本人」にしてしまえばいいのに、と思う一方で、それにイマイチ同意できない自分もいる。日本人だなぁ。

私がこどもにできることは、「まぁ日本人といって差し支えないかな」と及第点をもらえるところまでなんとか格好をつけることである。これから何とかできるところとしては、つまり、「母語としての日本語」にかかっている。

「日本語を話せるようになってほしい」には様々な程度がある。用件を伝えられる。日常会話ができる。日本語で何かを学ぶことができる。日本で働くレベルで使いこなせる。

先日、パートナーと話していたのは、こどもが「いつか日本で勉強したり、生活してみたいと思ったときに最低限必要なレベル」というわかるようなわからないような、そんなレベルが私たちの指針である。既に結構ハードルが高い。

でも欲を言えば、私はもっと母語としての日本語に近づいてほしい。

それはどういうことかというと、
・自分の気持ち(特に怒りや悲しみ)やまとまった考えををストレスなく伝えられる
・日本語の文学、詩、古語、語彙の美しさを味わうことができる。オノマトペなどの擬音語・擬態語が感覚的にわかる

少し横道にそれるが、私は英語で仕事はできても冗談は言えないし、フランス語は流暢だけれど、自分の怒りをうまく言葉で説明しきれないと思うせいか、より短気で暴力的になる傾向がある。こどもと同じ。

そもそも英語とフランス語の自分は、20代を通して後天的に得た人格だという自覚がある。だからこどもが、幼少時から日本語に慣れ親しみ、話し、自分の一部として飼い慣らすことが重要だと思っている。

話をもとに戻すと、気負いすぎの感もあるが、彼らが彼ら自身になるための材料をひとそろい用意してやる義務があると思っている。日本語はその材料のひとつになるかもしれないし、もしかしたら「別に日本人じゃなくていいよ」と言い出すかもしれない、でも本人がその選択をする時まで。

一生が今言える言葉は、「au revoir(さよなら・バイバイ)」のみ。先日は「おやつ」という単語を理解していると思わせられる場面にも遭遇した。二葉にいたってはまだ発声練習の真っ最中。ふたりともフランス人とも日本人とも言いがたい。

これからはナニ人というアイデンティティの確立自体がナンセンスなのかなぁ、という迷いを抱えながら、パリで可能な日本語教育を調べている真っ最中。こんなに早く学校を調べないといけないとは思わなかった。我が子は日本人と言える日がくるのか。

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