怒涛の帰国 前編
こんにちは!今回は前回言ったように、帰国したときのことを詳しく書いて行きたいと思います。
今回は28日(土)の飛行機で帰国しました。
前日にディジョンの学生寮を退寮し、パリのCDG付近に前泊してからの帰国でした。
なので、25日(水)に急遽帰国を決めてから、27日(金)のお昼にパリへ移動するまでに荷造りをしてしまわなければいけませんでした。
どう考えても時間がなかったです。気持ちも切り替えられず、落ち着かないまま、急ピッチで帰国の準備をしました。
そして、バタバタしている間に移動当日を迎えました...
今回はTGV (日本の新幹線のようなもの)でパリまで移動したのですが、ディジョン〜パリ間 のTGVが通常の20%になっていて、1日に3本にまで減少していました。
ただ、よくよく考えたら当然の話で、フランスでは今現在もそうですが、45日間の移動制限がかかっています。
基本的に仕事や家族のところに行くなど、特別な理由がない限りは、他の地方などへの移動はできません。
そのため、そもそもそんなにたくさんの電車が動いているはずがないなと
フランス内はもちろん少なくなっていますが、今は国境も封鎖されているので、当然のことながら近隣国への電車もありません。
その日は14時、16時、18時の電車しかなく、直前に電車がキャンセルになる可能性もありえると思ったので、その中では1番早い14時の電車でパリへ向かいました。
約1時間半ほどで、パリのリヨン駅に到着し、そこからタクシーで空港付近に移動する予定でしたが、なんと駅を出るまでに3回も検問にあいました。
それからタクシーで空港のすぐそばのホテルに向かったのですが、その際に街中を見てみても、誰もいないということはないですが、パリということを考えると少なく、本当に見たことないような光景でした。
そして警官の数が多いなと思いました。
まあそれもそのはずで、自宅待機令が出たのにもかかわらず、最初の1週間で、9万人以上の人がルールを破り、罰金をくらったようです。
ただ、ここ最近は、今までの悪い天気が嘘かのように、ずっと天気が良かったため、出掛けにいきたい気持ちもわからなくなかったですが
そんなことがあり、また感染者数は増え続けているため、政府は追加制裁を加えました。
あのような厳しい警備や閑散とした街の風景を見て、この病気の深刻さを実感しました。
というかここまでやらないといけない病気なんだと改めて思いました...
ディジョンと比較してみるとやはり大きな違いがありました。
ディジョンにいた頃、なるべく感染のリスクは避けたかったので、ここ最近は早朝のランニング以外は全く出かけていませんでした。
なので、日中の街中がどのような状況だったのかをしっかりと見ていたわけではありません。
ただディジョンは、とても落ち着いている街です。
学生寮からディジョンの駅まで移動する際に乗ったトラムから街を見ていても、驚くほど閑散しているという印象はなく、パリほどの重い雰囲気はなかったなと思いました。
ただ、ディジョンでもパリでもマスクをしないフランス人が、ほとんどみんながマスクをしている光景には驚きました。
そしてホテルに夕方に到着し、夕食も取り、シャワーを浴び、ベットでくつろいでいたのですが、ひょんなことから中東欧に住んでいる友達と電話することになりました。
彼によると、その国では感染者数も少ないですが、すぐに外出制限もされ、国境も封鎖されているそうで、またそれも急に決定されたそうです。
そのため、現在は仕事もなく、お金が消費されていくだけで、何もできないような状況だから日本に帰りたいと言っていました。
ただ空港も閉鎖されてしまっているため、どうしようもないようです...
またどこの国でもそうですが、いつこれが終わるかわからないということが、気が滅入るなということを話してしました。
彼とはそんなに連絡を取り合うわけではないし、近況もあまり知らなかったのですが、自分の好きなことをずっと続け、好きなことを仕事にし、少しずつステップアップしていることを聞いて、僕も嬉しくなりましたし、何より元気にやってそうで良かったです。
まあ僕はまだ帰ることができるだけ、まだましなのかなと思いました。
色々と話しているうちに、時間は思っているより早く経過し、その日は12時過ぎくらいに就寝しました。
そして、当日ですが、僕の便は11時45分の予定で、オンラインチェックインを前日に済ませたのですが、念のため、9時半には到着しました。
空港内に入ってみると、本当に驚きでしたが、こんなに人がいないCDGは始めてみました。そして、パッと見た感じ半数はアジア人でした。
CDG内のお店も95%が閉まっていて、空港内は見たことがないほど、いや今後もここまで閑散としたCDGは見ることがないだろうと思うくらい静かでした。
時間には少し余裕があったので、カウンターへはゆっくり歩いて向かいました。
ただ、そこで衝撃的な事実を知ります。
モスクワ乗り換えで、羽田着の予定だったのですが、なんとモスクワから羽田の便は飛ばないと言われました...
状況を考えるとひっくり返りそうになりました...
帰るタイミングとしては、その日がほぼリミットでした...
このまま帰ることができないのだろうか?
寮も引き払ったし、僕はどこに行けばいいんだ?
まずディジョン まで戻ることができるのか?
最悪、しばらくパリから出られなくなるのか?
本当に色々なことが頭をよぎりました...
そして一瞬物凄いパニックに陥りました...
ただ元々、自分自身も不安要素はあったんです...
25日(水)に帰国を決め、あまり時間がなかったので、急いでその日のうちにスカイスキャナーで一番安かったロシアのアエロフロートで航空券を購入しました。
そして、その次の日だったと思いましたが、yahooニュースを見ていたら、とんでもない記事を発見しました。
ロシアの国境が完全に封鎖されると...
もちろん国際便も全て欠航になると...
急いで、アエロフロートに連絡しました。
ただ今のところ欠航の予定はないと言われました...
どういうことなのか意味がわからなかったのですが、前日にオンラインチェックインも出来て、当日朝まで、運行情報を見ていても便が存在していたので、大丈夫なのかなと思っていましたが...
本当にあれは何にチェックインしたんだと思いました...
ただ、同じ日に帰国する友達が、エールフランスの便がたぶんガラガラってことを言っていたため、帰れる可能性があるとすれば、エールフランスしかないと思い、エールフランスのカウンターまで走りました。
そして、幸運なことに、成田への直行便の席がまだありました。
乗り換えがなくなってラッキーだなと思いました。
ただ、1つ問題点がありました...
当初は羽田へ帰る予定だったので、羽田でレンタカーを予約していました...
ただ、選択肢がなかったため、この便で帰ることになりました。
仕方ないので、成田の方でレンタカーを探したところ、前日の予約ということもあって、予約が埋まっていて、成田の方で1泊しないといけないことに...
そして、この羽田か成田の違いで、僕はのちに相当苦しむことになります...
そして、無事に飛行機に乗ることができ、12、3時間のフライトを経て、成田空港に日本時間28日(日)午前8時半に到着しました。
帰国までバタバタな日々が続いていましたが、
実はここからが、本当に長い1日の始まりでした...
今日は一旦ここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
次回は空港でのこととレンタカーで祖母宅に帰るまでを書いていきたいと思います。
何かご意見、感想などがあればよろしくお願いします!
花井俊介
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