書きたいと思ったときに書くこと。
書きたいと思うことがある。
今、書きたいと思うときがある。
それでも書かないときもあるのだけれど。
昨日書いた文「夏を思い出すこと。」は、書きたい、私も書きたい!と思ったから書いた。
私にとって書くことは息を吐くような行為ではなくて、食べたいものを食べるような行為かもしれない。無性にそれが食べたくなる、でもいつも食べたいわけじゃない、そのときをのがしたら、せっかく食べても今じゃないんだよなあとか思ったりする。そのときは明確に「この味!」ってわかっているはずなのに、タイミングをのがしたら「え?その味だったっけ?」って思う。そんな。
昨日は書きたかった。おいしそうに楽しそうに書かれている文に出会ったから。軽やかでちょっと重みがあって、思考が絡んでいて、あけすけで。踊るような文。読んでいて、ああ!書きたい!って思った。私も書きたい!って。人がおいしそうに食べてるのに釣られて自分も食べたくなるような。
私もこんな風になにも鳴っていないようで静かにずっと鳴っているBGMのように思ってもないけど絶対に思っていることが書きたい!そう思った。
出来はともかくとして、その気持ちに正直に行動できた自分がすきだ。よしよし、よくやったぞ自分。楽しかったよね。
(タイトルを書いた後に、「走ることについて語るときに僕の語ること」っていう村上春樹のエッセイのタイトルを思い出した。初めてそのタイトルを読んだときは何を繰り返し言ってるんだろうって思っていたけど、今はこのタイトルのことを身近に感じる。ある行為をした後に残る結果と、その行為をしようとするときにいろいろ作用しているものや使うものやその行為自体って往々にして違うし、そこは直線でつながっているわけじゃない。そんなことも考えた。)
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