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天国だった "日本統治時代" の50年 「台湾人が見た台湾と日本」 林建良

以前も書いたのですが、親日国の台湾の林建良さんの公演から熱い日本への思いを一部ご紹介します。
--- --- 以下、林建良さんの日本への思い --- ---
我々の人生を大きく左右するのは
実は、出身でもなく、学歴でもなく、『出逢い』なのです。
人と人との出逢い、一冊の本との出逢い、一本の映画との出逢い。その出逢いによって人生を幸せにする事も出来れば不幸にする事も出来ます。

国も、そうです。
我々台湾人は昔、日本と出逢った。
台湾は嘗て日本の領土でした。
台湾人は、嘗て日本の国民でした。

私にとって、それは一つの運命であって
その事によって、台湾が大きく変わったんです。
どの様に変わったのか?
まぁ…台湾でのインフラ整備とか、台湾での教育とか、台湾での色んな政策によって今日の基盤が造られて来た、、、
…そういう話をするつもりはありません。

私が言いたいのは、一人の台湾人として
日本を、頭ではなく、心からどの様に感じてきたのか
同じ植民地でありながら、何故、台湾人は親日で、韓国や朝鮮人は反日なのか?色んな説があります。
その後からやってきた国民党(蒋介石)が悪かったとか
(日本が)台湾に色んな良い事、インフラ整備や教育、事業等をやってきたからとか…
私は一人の戦後生まれの台湾人として、ハッキリ申し上げます。
私は台湾に居た時は、後藤新平の名前も、児玉源太郎の名前も、新渡戸稲造の名前も、八田與一の名前も聞いた事がありません。
しかし、私が何故日本に親近感を持つ様になっているのか?

我々の時代(蒋介石以降)では、台湾では反日教育を受けている人間なのです。
戦後、蒋介石がやって来てから
蒋介石政権は、我々から言葉を奪っただけではなく、
教育全般として、日本に関する視点は、
中国国内の日本に関する(歪曲した、反日の)日本観と同じ視点を、台湾人にも植え付けようとしたわけです。
しかし、それでも台湾人は、何故親日なのか?

皆さん、もし『植民地支配=悪』であれば
台湾人は朝鮮半島の人間よりも、15年深く日本を恨んでも良い筈です。

『植民地支配=善』であれば
朝鮮半島の人間は、程度の差こそあれ
少なくとも台湾より親日的になっている筈です。
しかし、
台湾は、親日的
朝鮮半島は、反日的です。

私は朝鮮半島の事情はよく分かりません。台湾の事しか喋れない。
台湾人は、日本が本当にインフラだけ、教育の整備だけ、
…色んな遺産を残してくれた。だから感謝の気持ちで日本に親近感を持っているのか?
と言えば
私は、ちょっと違う視点を持っています。

私の小学校では、昔、机や椅子に『明治小学校』という焼印が付いていました。
私が通ったのは台東小学校です。
その小学校の向かい側に『台中女子校』がありまして、それも日本時代の学校でした。
その通学路の途中にあった図書館も、日本統治時代の建物でした。

我々台湾人は、普通に日本的な生活をしていました。
私の家は畳の部屋で、
我々は食事も、宿題をやるのも、父が原稿を書くのも
ちゃぶ台でした。
父は、去年亡くなる迄、原稿をちゃぶ台で書いていました。
今もそのちゃぶ台を、大切に持っています。
家の中には、おそらくココにいらっしゃる日本人達も経験したことのない、我が家に五右衛門風呂がありました。
そうして我が家には小さいながらも庭があって、池がありました。
その池でうちの父がスッッポンを飼っていたのです。
日本人であれば、錦鯉を飼っていたのでしょうね。
台湾人は現実的な民族なので、スッポンの卵を焼酎に漬けると体に良いから…
日本人が錦鯉を飼っていた池を、そのまま活用して、スッポンを飼いました。
『錦鯉と、スッポン』
それは、『日本人と、台湾人』の差です。

台湾人の、日本人に対する親近感は、
皆さんが台湾に行かれるとお分かりになると思います。
できればパックツアーではなく、個人での旅行をして欲しいです。
どんなにモテない日本人でも、台湾に行ったら、モテモテなのです。
これは、保証します。
日本人であるだけで、皆さんは、親切にされる。
それだけではありません。
『尊敬』されます!
何も尊敬に値する事をやっていない人であっても
そういった日本人までもが、尊敬されます。
だから、自分がモテないと思われる人がおられれば、台湾に一度行って見て下さい。
そのぐらい、台湾は本物の親日感情を抱いています。
他にも親日国家は色々あります。タイも、トルコも親日です。
日本人の良いところも、悪いところも解って
解り切って…、尚、親日です。
しかも台湾人と日本人の違いは
『スッポンと、錦鯉』くらいの差なのです。
性格は全く正反対なのです。
正反対の両民族でありながら、
相思相愛・・・!

このマッチングは、どこから来たのか…?
私は一人の医者として、時々思うのです。
7年間も研究者として、研究生活を送ってきました。
そして時々思うことが、一つだけあります。
この50年間、この悪い日本政府がきっと何らかのトリックを使って
台湾人の遺伝子に、親日遺伝子を組み込んでしまっているのではないかと。
できれば、日本人にも
親台湾的遺伝子を組み込んでやりたい。
(拍手)
台湾人が、どんなに日本人に冷たくしても
好きで、好きで、離れない…!

今の台湾の日本に対するような親近感で…。

これ(台湾人の日本を慕う思い)はどこからやって来たのか?
後藤新平の名前も知らずに、日本の事を全く知らずに、
(蒋介石以降、中国による)反日教育を受けながらも
それでも尚、抱いている親日感情は、一体どから来たのか?

大体、台湾人の家庭では、親が子供に歴史を詳しくは教えないのです。
何故ならば、詳しく教えると(反日教育をしている中で、真実の歴史を語ると)、
子供達は外で色々喋るので、
親が思想犯として捕まってしまうのです。
だから反日教育をされた子供が、それ(学校の反日思想)を親に語ると、親は
「そんなの嘘だよ」と、ひとこと言って終わり。

しかし、それでも時々親から昔の日本人について聞くことがあります。
一番よく聞かされるのは、どういう事かと言うと
「昔の日本人は、学校の先生と警察官が怖かった」
「もう兎に角、厳しい」と。
私の祖父は、当時警察官だったんです。
怖かったですよ。
台湾人は、当時の警察官を『大人(だいじん=女将さん)』と呼ぶんです。
警察官が当時何故怖かったかというと、通常のパトロールだけではなくて
家の中迄入り込んで、衛生検査をやったり、子供が学校に行っているかどうかチェックします。
そして読み書きが出来ない大人にまで、教えます。
当時の警察官は、税金の徴収等色んな業務を行っていました。政策を、底辺にいる警察官達が、その政策の執行役をするわけです。

普通の台湾人は、後藤新平だの、児玉源太郎らは雲の上の存在なんです。
台湾人と一番よく接触している日本人は、
学校の先生と警察官なのです。
彼等は厳しいけれども、台湾人に色々教えました。

日本精神は、日本ではあまり使われていないようですね。
「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉は
台湾では今も活きています。
台湾人が、日本人を表現する時に使う言葉です。
と。評価する言葉(褒め言葉)として使います。

では日本精神とは何か?
日本精神とは、私が普通の警察官や学校の先生から学んできた4つの要素なんです。
その4つの要素が、
日本人が学校の先生や警察官を通じて台湾人に教え込まれた…4つの要素。

私が幼い頃に、日本統治時代に先人が教わった事を
ずっと今もそのまま、台湾の家庭ではやらされています。
掃除や、それ以外にも、畳を干すんです。
そのくらい…清潔にする事は、とても大切なんだと。
台湾人は日本から教え込まれました。心の中に。
袖の下を取らない。賄賂を貰わない。
清らかな気持ち。
穢れのない生活。

これは今の日本にも残っていると思います。
日本人の清潔感、道徳心、そして、規律。
特に法を守る、遵法精神。
時間を守る。

これも今の日本社会にちゃんと残っています。

台湾人の、好きな日本!
親日感情の原点とは、何か?
『尊敬』なんです、皆さん!

人間と人間との関係、どんな関係でもそうなんです。
夫婦関係でも、友達関係でも、恋人同士でも
尊敬がなければ、長続きしません。
本物の親近感が生まれて来ない。
ハンサムとか可愛いとか…しかし
その中に尊敬の要素が入っていなければ愛情は長続きしません。
台湾が何故、親日なのか?台湾人の尊敬している日本人は
普段の一般の日本人の気質なのです。
その清潔感、規律、真面目さ
だから、どんな日本人でも台湾に入るとモテモテなんですよ。
そうしてもう一つ、
それは『正義感』なんです。
正義感とは、正に武士道精神の原点ではありませんか!

台湾の中央には山脈が、北から南へ伸びています。
台湾の3分の2は山なのです。
しかも、かなり険しい。平均標高は3000メートル。
3500メートル以上の山が20個もあります。

そこへ日本人が登って、現地で生活している原住民を感化して、教えて、調査して来るわけです。
今でも台湾の中に、そういう重要で、貴重な資料が沢山残されています。
日本人に、その冒険心がなければ、とてもそういう事は出来なかったのです。
皆さんある男がいて
「この人は、とても良い男、礼儀正しいし、知識がある。
ところが冒険心が無く、おとなしい。。。」とすれば
そんな男は魅力的な男とは言えません。
しかし!当時の日本人はこの4つ
~清潔感、規律、正義感、冒険心~
この全てが揃っていた!
しかもその事を
台湾人に、身をもって教えたわけです。
これが、今の台湾人の親日感情の原点なのです。
台湾人は今でも日本人のことを『先生』と思っています。

戦後の日本政治は、台湾にとって非常に……痛い!
台湾にとっては、傷をつけられているような政策が一杯ありました。
しかし台湾は、50年間植民地支配されていながら「謝罪しろ」とか、泣きわめいて「覚えていろ!」「賠償しろ」とか、、戦後の台湾人がやった事はありますか?
そんな事をしない理由は・・・一つ
『先生(日本)』に対する礼節だからです。
たとえ今の先生が、昔と違っていたとしても
我々は、なお…感謝している!
これは、師弟の情なのです。
尊敬の念なのです。

ここから生まれた親日感情というものは、
世界は広いけれども、台湾しかありません。

戦後の日本は、台湾をどう扱ってきたのか。
2つの神話の上に台湾と付き合ってきました。
一つの神話は、
1945年から1972年迄、日本は台湾にある中華民国を、全中国の代表として認めて、台湾と付き合ってきました。つまり蒋介石政権を認めたわけです。

それ以降は一転して、
台湾を中国の一部であることを認めてはいないけれども、
理解して尊重すると言って、まるで台湾は中国の一部であるかのように、台湾と付き合ってきました。
この2つの神話のいずれにも、台湾人の存在や台湾人の目線が入っていません。
何故、かつて自分の国民として統治してきた台湾人の気持ちを理解もしなければ、尊重もしないのか。
台湾人の将来は、台湾人が決めるべきだという、
日本の一番の核心的価値観ではありませんか?
自由民主陣営でありながら、何故この一番基本的な事、
嘗て自分の生徒と同じように、50年間育ててきた人に
この普遍的人権を与えないのか?
私は一人の台湾人として…、分かりません。

台湾で、ある映画がヒットしました。何度も何度も繰り返し見る人、映画館で涙する人も多くいました。。。
台湾人が台湾人の視点で、「日本をどの様に慕っているか」を映画で描いた映画です。
それが、台湾人の心を揺さぶったのです。
台湾の生い立ちを、この映画から深く感じたのです。

自分が、こんなに70数年間経ってからも何の連絡もくれなくて、勝手に(日本に)帰ってしまって
その日本人の男性が生前何通も書いていた手紙を
亡くなってから、台湾の女性の元へ届けられたのです。
私は一人の友人の女性作家、謝雅梅の言葉をいつも思い出します。
彼女は「台湾人と日本人」という本を書いて、日本でもそれなりに売れました。
彼女はずっと日本に背を向けられてきたにも関わらず
日本を嫌いになれない理由。その台湾人の気持ちは、実に切ないです。
少女(台湾)が70数年間も放っておかれ、その少女はお婆ちゃんになっても、尚も日本を慕い、片思いをし続けている。。。
何故、台湾人はこんなに親日なのか?と、私は自分でも不思議に想うんです。
その映画のヒットから、六年後、もう一本の映画がまたヒットしました。
「KANO~1931海の向こうの甲子園」という映画です。

台湾人が作った映画なんですけれど、6割以上のセリフは、日本語なんです。
その中に、まさに台湾人の生徒と、日本人の監督、日本人の先生との師弟の絆!
如何にその野球の練習を通じて、絆が深まっていったかを描いています。
台湾人には厳しいけれども、愛情が篭っている…!!
これは、三十代の台湾人がつくった映画なんです。
同年、台湾の国会で、「ひまわり学生運動」が起こりました。中国との貿易法案を止めよう!と占拠した。
その中で放映されたのが、この映画でした。
当時の学生達がこの映画を見て、如何に励まされたか…!
この台湾人の気持ちを、果たして日本人は解ってくれているのか。
私は日本に留学(東京大学)し医者となりましたが、その医師免許証にも、出身は「中国」となっていました。
中国は、我々の敵なんです・・・
日本政府が、かつての自分の国民だった人に
敵の国籍を押し付けた。その後国籍を台湾にする運動を経て、今実現しました。(略)
日本精神は健在です。
台湾での最近の統計では
『日本が一番一番好き』という人は50%以上います。
二位以下は、一桁です。

(略)
時々学生達と雑談します。彼らがある日、僕に聞いたんです。
「先生、成功とは何ですか?」と。
私が学生に話したのは、敢えて成功を定義するならば
「自分自身が尊敬できる様な人間になれと。
自分が、『こういう人間なら尊敬できる』とすれば
その様な人間になりなさい。」
我々台湾は、尊敬する日本の様になりたくて、戦前も戦後も一生懸命に頑張ってきました。
先生である日本に評価してもらいたくて、我武者羅に頑張ってきました。

そして今になって、先生である日本に伝えたい事はたった一つ、

先生私の事を振り向いて下さい。

私はココにいる。
一生懸命頑張っている。
先生から教わった自立自尊の精神。
独立した人間。
そして、日本精神を持つ人間になりたくて、頑張ってきました。

僕らを見て下さい。
もう一度、振り向いて下さい。
恐らくこれは僕だけではなくて、一般の台湾人の切なる気持ちではないかと思います。
ご清聴ありがとうございました。

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