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青年よ、起て! 日本復活☆


よく伊藤貫さん等が日本人の弱点として
『哲学(宗教)の無さ』を嘆き、繰り返し訴えておられますので、今日はその哲学(宗教)的観点から書いてみます。

┃私が存在する目的

少年時代に大統領になると決意して、あらゆる努力の結果、見事に大統領になったとしましょう。
その時、その回顧録には少年時代にどのように決意したかがとうとうと語られ、多くの人から、大いなる尊敬を得ることができます。
その場合、少年時代に決意を固めたのは、どこまでも本人でした。本人が決意して、本人が将来のビジョンを定めて、不屈の信念でその目的を達成したことが明白です。
ある結果を生み出す動機も、当の本人が担当しています。
動機や目的も本人によるものであり、最終結果も本人に属しています。
これなら、本人だけで全てが解決します。

しかし、人生の目的となると話が異なります。
生まれる目的は、決して自分で設定することができません。胎内で目が構成される時、目が出来上がった後に、目の目的が定まることなどありません。

目が目となる必然性、目の目的は目という存在以前に定まっていなければなりません。
目や耳や全ての器官が準備される目的は、器官そのものより先行して存在している筈です。
さて、目の目的を定める存在があるとすれば、
その存在には、胎児が胎内で形造られる時、
既に誕生後の世界がどうなっているかを明確に把握できていなければなりません。
目は見えなければなりませんが、見えるようにするために必要な前提として、地上世界はどうなっているかが、前もって理解されていなければなりません。
空気の中で、太陽の光を受けて、
その反射光で認識することが必要となるという事実を知らなければ、目の設計は不可能です。


カレーライスが創造されたとして、2つの疑問が生じます。
このカレーライスはどのようにしてできたのかという作り方に対する疑問です。
一般的にHOWの疑問です。KNOW ー HOW と呼ばれます。
これは科学的分析で解決が可能です。
どのような材料を、どのように組み合わせ調合すれば良いかを説明するものです。
もう一つの疑問があります。
それは、どういう目的でこのカレーライスが造られたのかという疑問です。
お客さんの注文により調理したとか、友達へプレゼントするために作ったとか、材料の構成に対する疑問ではなく、
存在する理由、つまり存在そのものの存在目的に関する疑問です。
お店にお客さんが到着した時、どうやって来られましたかという質問は、電車でとか、歩いて来たとか、HOWに対する疑問です。
どのような目的で来られましたか、その理由を求める質問は、WHYの質問です。
宇宙の全ての存在に対して、この二つの質問が適用されます。
なぜ存在するのかというWHYの質問と、
どのようにしてできたのかを問うHOWの質問です。
科学者はHOWで質問します。どのようにして宇宙はできたのかを追求します。
これはそもそもの材料を追求するものであり、プロセスの追求であり、手段の追求です。
なぜ
宇宙が存在するようになったのかというWHYの質問は、HOWとは異なる哲学的質問です。
カレーライスをどういう目的で造るのか、つまりWHYの質問は、存在の根本的質問であり、全てのプロセスHOWよりだって設定されます。
つまりいかなる創造においても、WHYは最初に設定されます。
そのWHYは変化することなく水平移動しながら、全てのHOWを方向づけます。
全てのHOWは、最終的にWHYと一致して完了します。
HOWはまずゼロ位置を原点として、
HOW50、HOW80、HOW99と徐々にWHYに近づいて行きます。
目的通りに結果が一致すれば創造は終わります。
HOWの変化はWHYと一致して完了します。
全てのHOWはWHYを目的としています。
親子の絆はWHYで説明され、知恵や技術はHOWで説明されます。

人類は長き歴史を紡いできました。
人間から人間への生命の連鎖は親と子の繋がりとして私達は常に目撃することができます。
親から子供が生まれて生命の連鎖が行われる事実を
現実において確認することができます。

人間は誰しも自分という存在に意義や価値を見出そうとします。
しかし空間的に見れば、人間は宇宙の広大さに比べればにも満たない存在と言えます。
また時間的に見ても、たかだか100年の寿命は、
数億年単位で流れる宇宙の営みから見れば、カゲロウのようにはかない存在です。
空間的に見ても、時間的に見ても、
人間の存在に何かの意味を見出すことは困難に見えます。
宇宙に漂うごみのようにも見えます。
ここで思い切って断言してみましょう。
「人間の存在に意味などないし、価値などあるはずもない。
したがって人生は無意味である。」と。
この結論が正しければ、殺人も、裏切りも、戦争も許されることになります。
無価値なものなら、消滅したからと言って
悲しむ必要もなければ、抗議する必要もないからです。
意味のあるものは保管しておきたいですが、
無意味なものは片づけてしまいたいのが人情です。
基本的人権という単語も死語となります。
無価値で無意味なものに何の権利があるでしょうか。

では、人間の心の反応を分析してみましょう。
誰も、大事にされれば嬉しいですが、
人間扱いされなければ悲しみ、怒り、抵抗します。
それは誰もが自分の存在に対して、
かけがえのない価値を認めて欲しい」と叫んでいる自分を発見するのです。
もちろん、自分の価値を認めるなら他人の価値も認めなければなりません。

次に「人間の存在には何らかの価値がある」という前提で話を進めてみましょう。
今一度、目を例にして考えてみます。
意識もない赤ん坊自身が目の必要性を認識することは出来ない、だからと言って、親が目を設計するわけでもありません。
当人でもなく、親でもない、何者かが
やがて目が必要になるという事実を認識している
ことになります。
細胞分裂を繰り返しながら徐々に目の完成に向けて発達して行く事実を見れば、
まだ影も形もない段階から、この細胞は目に向けて発達させなければならないという明確な意志が作用していることになります。
目の完成像のイメージが最初の時点でくっきりとしていなければなりません

目には重要な意味があり、また価値があります。
そしてその意味や価値は、
目の存在理由としての目的に根拠を置いています。
その目的に一致していれば、価値として評価されることになります。まず、
・目的
があればこそ、
・目的に向かってのプロセスが生じ、
・その完成があります。
そしてその存在が存在目的に一致している限り価値ある存在と認識されます。
胎児の成長プロセスにおいて、
目が生じ、耳が生じ、手足が生じるのは、
偶然の産物でも確率の産物でもありません。
明確な目的に向かって突き進む目的現象として理解しなければなりません。
そして、その目的は全てのプロセスに立って存在しなければなりません。
目的が起点であり、存在は結果です。
結果の価値は動機としての目的に一致しているかどうかです。
見えない目は価値がありませんし、
聞こえない耳は無意味です。
しかし、目は聞こえないからと言って非難されませんし、
耳は見えないからと言って非難されることはありません。
それは存在の動機である目的によってそれぞれの価値は異なるからです。

┃私の存在意義と価値

さて、目や耳や手足の総合体である人間は
何故に人間として存在するようになったのでしょうか?
人間の存在に明確な目的があるなら、
その目的は人間が存在した後に定められるはずがありません。
存在の前に定まっていなければならないはずです。
その目的に合致するように全てのプロセスは方向付けられなければなりません。
つまり、人間は人間が必要だから誕生したのではなく、
何者かに必要とされて生み出されたとしか考えることができません。
目自身が目を必要としたから目ができたのではなく、
目以外の何者かによって必要とされて形成されたのと同じ論理です。

同じ論理を宇宙全てに適用してみましょう。
花はなぜ存在しているのでしょうか。
花は花が必要としてではなく、何者かによって必要とされて登場するようになったに違いありません。
太陽はなぜ存在しているのでしょう。
宇宙はなぜ存在しているのでしょう。
同じ論理が適用されます。

宇宙全てに何らかの目的があるとすれば、
その目的は全ての存在に先立って存在しなければならないことになります。
目的は意志によってもたらされるものです。
意志のない存在が目的を持つことは有り得ません。
宇宙の全てのプロセスに先立って一つの意志が存在しなければならないことが
大きな結論となってきます。
その意志を宇宙意志と名付けることにしましょう。
釈尊が主張した仏、
孔子の主張した天、
イエスやマホメットが主張した神
と共通する存在に違いありません。
人に人格があるように、
宇宙にも人格があってもおかしくはありません。
宇宙人格と呼ぶことにしましょう。

さて、宇宙人格は何を目的として宇宙を生み出し、人間を生み出したのでしょうか?
それが価値ある人生を生きるとなります。

胎内期間は、肉体の準備が目的であり、
 地上生活の準備を整えることが目的です。
地上生活は、人間の責任を果たし、愛を完成させる
 霊界の準備期間です。
霊界…この霊界でこそ、時空を超越した宇宙人格と
 一体
となれます。
 地上で完成させた愛を以て神の愛を呼吸し永生します。
胎内期間の最大の関心事は地上世界のことであり、
地上世界の最大の関心事は、霊界にあります。

価値ある人生を生き、
この愛する祖国の力強い担い手となり
「私が、日本を復活させてみせる!」と起ちあがる
志熱き青年の登場を期待します。
(日本を愛する方なら、老若男女を問いません。)
ご関心をお持ちの方はご研究下さい。

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