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「上手・下手」と評価する前に考えたいこと

「私、絵が下手だから・・・」
という言葉を耳にすると、「そんなこと言わないで。それにしても、上手く描こうとしているのかしら」と思います。

「絵が上手いね、飾れるレベルだね」
と聞くと、「評価してくれてありがとう。絵が上手いことに価値を置いているのかしら」と思います。

こんなこと考えているなんて知られたら嫌われそうですが、その「上手い」ってどんなことなのだろうと単純に好奇心が湧きます。

無意識の発言に隠された願い

言葉って面白いですね。
その前提に、その人の価値観・信念(行き過ぎると思い込み)があるから。

先日、会社勤めの人たちが絵を描いて、オンラインで共有し合うイベントがありました。「自分の好き」を見つめながら、それをキャンバスに落とす。その上で、その絵を見せながら語り合う、といった内容です。

語っている内容が、私にとって非常に興味深いと感じた理由は、それぞれの発言からその人が何を大切にしているのかが感じられたからです。

「さまざまな画法をすべて取り入れて描いてみた。右下の色は何度も塗り重ねている」
→ 技巧(スキル)的な工夫を大切にしている人なのかな?
「絵具の色をせっかくなら全部使いたいと思って、やってみた」
→ 色んなことをとりあえず試してみることを大切にしている人なのかな?
「これを描こうと決めて、しばらく描いていくに連れ、なんか違うと思った。とはいえ、描き方がわからなくてイライラした」
→ 理想像を追求することを大切にしている人なのかな?
何か漠然とした理想像はあるけど、表現の幅に限界を感じる傾向があるかも

全く決めつけてはいないですが、コーチの癖でこんな「見立て」をしてしまう自分がいます(笑)

無意識的な本人の傾向が良くも(悪くも?)わかってしまう点、組織内でアートを使って互いが自己開示することは面白い試みだなと思います。

「上手い」ことよりも大切なこと

さて、先ほどの「絵が上手い・下手」話ですが、どうしても私の思考回路だと、その人が発言の前提にあるものを感じとる癖があります。

上手いってどういうことなんだろう?
描いている対象が、写実的に被写体に似ているということ?
有名な画家が描いた絵に似ているということ?
色や配置が好感の持てるものであること? 

みたいな感じで考えていくと、絵の上手い・下手って、本来評価しきれないんじゃないかと感じます。

絵画を鑑賞する良さって、そこから感じるエネルギーや感情の揺さぶり、ストーリー、面白さにもあると信じているので、たとえ「上手い」と評価される絵であっても、それらが無ければ私にとっては物足りない。
子供でも描けるような絵であっても、物凄いエネルギーを感じたら、私はその作品に満足します。

それに、絵を描くとしても、私の知っているアーティストたちは「いかに自分の世界観を出し切るか」に焦点が当たっているように感じます。
勿論、表現するにはスキルも必要なので、結果として一般人からしたら「上手い」絵にはなっているかもしれません。しかし、上手く描くことを第一に考えながら、描いていない。むしろ、そこにあるのは出し切った満足感です。

そう考えると、「どれだけ絵に想いや世界観が詰まっているか」が何よりも大事に思えてなりません。

「ビジネス・キャリア」と「アート思考」

ビジネスにアートを取り入れる価値って、本来そういうことだと思うのです。「上手くいくかどうか」にこだわるのではなく、「どうしたいか・何を表現したいか」に焦点を当てることこそ、いわゆる「アート思考」です。(※アート思考からイノベーションが生まれたり、多くの消費者の感性に響く何かが生まれることが期待されています。ただ、すぐに、確実に成果が表れるものでないことには留意したいです)

個人のキャリアだってそうです。履歴書として立派なキャリアにこだわりすぎるよりも、「本当は何をしたいか・どうありたいか」を投影したキャリアもきちんと探求している方が、満足度が高い人が多いようです。

総じて思うのは、どんなシチュエーションでも、「上手い・下手」にこだわることよりもっと大切なものがあると思うのです。それは、とても探求のしがいがあるものだと信じています。

だからこそ、絵を描くことに少しでも興味があれば、下手と思う気持ちをそっと脇に置いてとりあえず描いてほしいのです。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日も素晴らしい1日を!






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