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今こそ大切にしたい3つの「余」

① 余分

小説を読む時間を大切にしています。
最近は専らビジネス書や専門誌でしたが、必要なことだけコンパクトに詰め込まれたその様に少しだけ飽きてしまったのかもしれません。

小学生の頃に背伸びして買った小説「ホリー・ガーデン」を、しっとりした気持ちと共に読み終えました。(30歳を目前にした2人の女性の物語。小学生の私には少し早すぎる内容だったと思います)

なぜだか昔から、余分なものが好きです。
それはたとえば誰かのことを知りたいと思ったら、その人の名前とか年齢とか職業とかではなく、その人が朝なにを食べるのか、とか、どこの歯磨きを使っているのか、とか、子供のころ理科と社会とどっちが得意だったのか、とか、喫茶店で紅茶を注文することとコーヒーを注文することとどちらが多いのか、とか、そんなことばかり興味を持ってしまうということです。

余分なこと、無駄なこと、役に立たないこと。そういうものばかりでできている小説が書きたかった。余分な時間ほど美しい時間はないと思っています。

―― 「ホリー・ガーデン」江國香織

「余分は、美しい」―― まさにそうで、目的からちょっと外れた一見余分なことから豊かさは生まれるのだと思います。

私を目的地に連れて行ってくれるタクシーの運転手が、街路樹を見て「珍しい花が咲いているね」と後部座席につぶやく。
特に行く当てもなく、気の赴くままに知らない道に足を踏み込んでいく。
そんなところに本来豊かさは眠っているのに、目的を最重要視して進むことが最近では常態化しているかのようです。

② 余白

多重な色使いが印象的なモーリス・ルイス。
物静かで内向的、しかし創作に対する熱意を人一倍秘めていたルイスは、ポロックやロスコら同時代の画家が活躍するニューヨークとはあえて距離を置き、淡々と独自のスタイルを摸索しました。そんなルイスが、その後の美術の流れを変えることとなる画期的な作品を描き始めたのは1954年、41歳の時でした。

■ Alpha-Pi(1960)

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この手のシリーズをルイスは多数作成していて、どれもカンバスの中央上部に大きな余白が広がっています。鑑賞者は、きっとその絵の中央に惹きつけられるかもしれません。

■ Pungent Distances(1961)

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ちなみに、Pungentとは「舌や鼻を刺激する、ぴりっとする」という意味で、その暗喩表現も想像力をかきたてます。

絵が描いたことがある人は共感できるかもしれませんが、「余白」を残すことって意外と勇気がいることなのです。なぜか、人は空白に何かを埋めたくなる癖があるらしく、そこに無意識に色を重ねていってしまうことも少なくないようです。

ですが、余白からは凛とした美しさ、堂々とした面白さを感じられますし、塗りつぶされていない分どこかほっとしてしまう感覚もあるかもしれません。

③ 余地

ロジカルシンキングでは、「モレがないか」という観点が必須です。それはあたかも、ほかの思考が入り込む余地をなくしていく "職人" のようです。(ロジカルシンキングは誰に対しても納得してもらうための技術で、素晴らしいものだとは理解しています)

「ほかの思考が入り込む余地をなくしていく」と言いましたが、その弊害もあります。論理で埋め尽くされた作品を "作品" として受け止められてしまい、そこから更に発展させる余地がなくなる可能性が高いということです。

個人的には、思考の余地を残すという意味で、意図的な「モレ」は許容したいと考えます。言い換えれば、曖昧さはあえて残しておいた方が面白くないですか?モレを細かく指摘するくらいなら、そのモレを埋めて、むしろ溢れさせるくらいのアイデアを交換すべきです。

コーチングでは、クライアントに完全な回答は求めません。むしろ、少しでも思い付いたことがあれば、うまく文章にならなくても自由に話してほしいとお伝えしています。

「モレ」だらけの回答は、それに何かを付け足す余地があることを示してくれます。その回答をきっかけに思考が深まるかもしれませんし、コーチからも直感で感じたことを伝えられます。出したその瞬間から、クリエイティブプロセスが生まれるわけです。

だからこそ、この記事でもあえてすべてをまとめません。
ここから更なる発展が生まれることを信じて。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日も素晴らしい1日を!

【参考】
https://kawamura-museum.dic.co.jp/art/exhibition-past/2008/louis/




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