見出し画像

『義』  -戦いを終えた吉田はどこに行くのか- 長編小説



戦いを終えた吉田はどこに行くのか

「吉田さん、もうお出掛けかい?」

 警備員が問い掛けるも、吉田は答えない。

「今日も晴天だから、墓参り日和だよ。あ、君は、斎藤大輔くんだね。お帰り。はい、これが預かった荷物」

 警備員は、大輔の荷物をテーブル上に乱暴に置いた。

「君。ここで見たことは絶対他言したらいけないよ。絶対にね。命を粗末にしちゃいけない。君は若いんだし。何歳かい? ほう、二十歳かい。だったら、尚更だ。未来ある若人だ。ワシは、しっかりと念を押した。お節介な警備員だと思うかも知れないが、これも仕事なんだ。それに、ワシらの仕事が増やされてもかなわないからなあ」

「警備員さん。吉田さんから、こんな大金を頂いたんです」

 大輔は白い封筒の口を開き、警備員に中の札束を見せた。警備員は目を細めて、中を覗き込む。

「ほう、これはたまげた。吉田さんに気に入られたんだろう。なあ、吉田さん?」

 警備員は吉田へ声を掛けたが、吉田の姿は警備室から消えていた。

「ありゃ、吉田さんが消えちゃった・・・。君君、ワシだから、そんな大金を見ても、見て見ぬ振りするが、他の警備員なら、君の規約違反で通報ものだよ。気をつけな」

「すみません。知りませんでした」

 大輔は謝り、封筒を鞄へ押し込んだ。

「きちんと、契約書に書いてあっただろう。もう、最近の若者は。まあ、良い。次回からは気をつけな。危ない大人もごまんとおる」

「すみません」

 大輔は頭を下げた。

「もう、夜が明けるなあ」

 警備員が背伸びをしながら言った。大輔が外に目を向けると、暗闇がうっすらと明るくなり、歩道の白線が陽炎のように浮かんでいた。寝ていないが、疲労感はない。寧ろ、爽快感すらある。短く長い一晩を、振り返ってみる。地下で見聞きした事象は一体何だったのだろうか。彼女との決別にて自律神経が狂い出して、勝手に描いた空想なのだろうか。

「警備員さんは、地下に降りたことありますか?」

「ワシはない。選ばれた人間ではないからね。地下に降りるには、選ばれないと入れないんじゃよ。まあ、入りたいとも思わないけれどな。この警備室で、君のように来る人たちの相手をする方がワシの性に合っとる。国から、それなりの給料も貰っとるからな」

「吉田さんって、何者ですか? 質問しても、全く返答がありません。見ず知らずの人間なのに、こんなお金を頂いて。先ほど仰っていました、俺が気に入られた理由も分かりません」

「そうじゃな。実はな・・・」

 警備員は顎を握り、目を大きく見開いた。大輔は警備員の含蓄な仕草に、期待する。

「ワシもあんまり分からん。すまんな」

 警備員は目尻に皺を作り、にやけた。

「ちょっとしたことでも、良いんです。例えば、家族構成や、出身地、あと、年齢や趣味、なんでも良いです」

「君、吉田さんに惚れたな」

「いやいや、惚れたとか、惚れていないとか、そう言った次元の話ではなくて。気になるんです」

 大輔は頬が火照り、真っ赤に染まった。

「まあまあ、そんなに熱くならんと。冷静に、冷静に。吉田さんは、ワシが見ても魅力的な人間だ。今時に稀な、ダンディな男だ。でも、先ほど言ったように、地下施設に出入りする人間の素性は、詮索せんことが此処での慣例。聞いてもいいことないぞ。だって、他言出来ないからね。まあ、一つ知っとることは、さっきも言ったけれど、毎日墓参りに行っていることくらいじゃね。それだけ。君の力になれなくてすまんなあ」

 警備員は、申し訳無さそうにする。
 
 帰宅した大輔は、冷水のシャワーを浴び、ベッドに仰向けになる。ジャンプすれば手が届くほどの天井を眺め、目で見た世界と聞こえてきた音をこれまでに習熟した一般常識の上に、パズルのパーツを空白に当て嵌めるように、脳内で組み合わせてゆく。地下施設で過ごした時間は、恐らく夢ではなさそうだ。

 鞄から携帯電話を取り出すと、メッセージの通知が光っていた。健斗からの通知だった。

『勿体ないことしたなあ。俺は片方の女をお持ち帰りしたぜ。あ、そう言えば、遥香ちゃんが別の男と遊んでいる写真がSNSに上がっていたぞ。ほれ』

 携帯電話の画面に、遥香と見知らぬ男が頬を寄せている画像が浮かんでいる。見知らぬ男は一重瞼の細目、唇が薄いく、髪の毛がワカメのように緑色に染まっていた。骨格も華奢だ。遥香が言っていた、すらっとした男なのだろうか。液晶を眺めていると、顔を寄せ合う二人が、まるで泥を塗りたくったように小汚く感じた。液晶に指紋や鞄の埃が付着しているからだろうか。タオルケットに液晶を強く押し当て、上下させて擦った。しかし、液晶に写った二人の画像が輝くことはなかった。

 大輔は携帯電話を放り投げ、再び仰向けになった。近所の公園から、油蝉の鳴き声が鼓膜を震わせにやって来た。今日も、空気の抜けきれない初夏の暑い一日になるのだろう。こんな暑い中に出社する会社員は大変だろう、と下着に脇汗を滲ませていると、スーツ姿で歩く吉田の姿が思い浮かぶ。墓参りに行く、と警備員が言っていたが、一体誰の墓なのだろうか。不治の病で他界した奥さんのお墓だろうか。それとも、両親の墓だろうか。警備員も知らない吉田の素性が気になり始め、気付くと胸が熱くなっていた。


続く。

長編小説です。

花子出版   倉岡



文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。