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さざれ石   -岐阜県-

こんにちは

「国歌斉唱!!」

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

国歌と言いますと、私は入学式や卒業式、そして大学生の頃に出場した武道の開会式を想起します。

人それぞれの思い入れは千差万別です。私はどこか懐かしく親しみのある旋律がとても好きです。

国歌の中に『さざれ石』とあります。どのような石なのか、以前から興味がありつつも脳内の隅っこに追いやられており、実物を見る機会がありませんでした。
ですけれど、先日に岐阜県の両界山横蔵寺に行った際に、車を走らせて『さざれ石』を見てきました。
さざれ石公園は、国歌発祥君が代の地で有名であります。
有名でありますが、私が行った時は平日ということもあり、見学者は皆無。一人でさざれ石公園を大満喫しました。




さて、進みます。
入り口には大きな石碑があります。


さざれ石公園


さざれ石公園


日の国の栄を石によせて
よみたる国歌この地に生まれし  詠 小林宗一

国歌に詠まれている「さざれ石」の巨巌を平安時代から、春日村の藤原一党の人が保存伝承していることを知り、世に広く発表され昭和の石聖と人々に親しまれた小林宗一翁は、号(宗閑)と称し揖斐川町中町に住み、少年の頃三重県菰野町の見性寺に於いて、勉学修行それが後年小林翁の人格形成の基となった。
昭和三十五年揖斐川愛石会を結成会長に就任。毎日新聞社裏千家淡交社の協力を得て、ハワイ日本人会に揖斐川石など三十三石を贈呈。春日村と藤原一党の協力を得て野田卯一先生のご配慮により、伊勢神宮、明治神宮。文部省の中庭、池田総理大臣にさざれ石を贈呈。昭和三十六年「国歌に詠まれているさざれ石」についての建白書を総理府に提出し全国各地に大きな話題と理解を頂いた。
昭和三十九年、四十年朝日新聞主催の、名古屋市にて開催の全国水石大展覧会には、其運営委員長として名声を傳し、日本一流の愛石家として活躍。自己に厳しく人に優しい先生は聖者を思う品性人格を感じ、愛石先生としたわれ、昭和四十二年には揖斐川町の石の博物館・日本愛石館の初代館長に就任し、昭和四十四年一月版画家の棟方志功先生宅を訪問のため上京中病気に倒れ新宿病院に入院療養中、人々の願いも空しく子息文治氏に看取られ七十八年の生涯を閉じられた・
昭和五十二年十月二十七日吉川幸太郎氏の協力を賜わり御皇室に献上御嘉納の栄に浴したもの、小林先生の偉大な道徳にて、其功績を顕彰し平和と国の繁栄を念じ、全国の有志一同春日村のご協力を頂いて文碑を建立する。

平成三年十月二十七日  日本さざれ石の会
 
石碑から文字起こし。

刻まれた先人の歴史を読み、一息ついて細道を更に進みます。すると厳かなさざれ石がありました。注連縄が締められ、神々しい。
撮った写真も太陽が後光のように差し込み、神々しく写りました。


さざれ石公園



学名は「石灰質角礫岩」とされるさざれ石、人生で初めて触りました。
細かい石が集まりて凝縮し、大きな巌となり、その上には苔や小さな草が生えていました。この姿は正に、国家通りの姿です。
長い長い歳月を要し、少しづつ巌となった歴史は、日本の象徴として相応しい姿です。
極寒も猛暑も干魃などなど、多くの苦難があったことでしょう。果てしない星霜にて、頑健な巌となったのです。


一般的な公園ならば芝生や雑草が茂っているでしょうが、さざれ石公園は苔が地面を覆っていました。ふかふかとして歩きやすく、趣向を凝らした公園が素敵です。
おにぎりでも持っていけばよかったなぁーと。


国歌について考える一日となりました。


花子出版   倉岡


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文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。