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『義』  -義を求めよ(完結)- 長編小説




義を求めよ(完結)

 大学の図書館前のベンチに大輔は座り、文字だらけのシラバスを眺める。筋肉痛にてシラバスを持つ指先が、細かく震えていた。

「おい。大輔、どうしたんだ? 顔が窶れているぞ」

 隣に健斗が座った。健斗もシラバスを持っている。

「何でもない、気にしないでくれ。元気だ」

 大輔がページを捲ろうとする、シラバスを地面に落としてしまった。拾おうと、身を乗り出すと、背中と肩周りの筋肉が、激しく痛む。健斗は大輔のシラバスを拾い、大輔の膝の上に置いた。

「悪い。拾ってくれてありがとう」

 大輔は礼を言う。

「落とした物を拾えないなんて、普通じゃないだろう。何があったのかを教えろよ」

 健斗は大輔の肩を叩いた。肉体に激痛が走り、大輔は眉間に皺を寄せる。何も知らない健斗への苛立ちではない。自分の肉体の脆弱さに、辟易した。

「悪い悪い。ちょっと、筋トレをし過ぎたんだ。全身筋肉痛で、ちょっと参っている。叩かないでくれよ」

「ごめん、それは知らなかった。あんまり、無理するなよ」

 健斗は叩いた大輔の肩を、掌で優しく撫でた。

「東京に戻ってから、親と話をした?」

「ここに、座ってシラバスを眺めているということは、どういうころかは分かっているんだろ。暫くは、大学で頑張ることにする。先日、大学を辞めて天草へ行く事を、親へ相談してみた。すると、意外にも賛成してくれた。『天草でも、どこでも行ってこい。でも、私は責任は取らないからな。お前は二十歳を超えた。自分の未来は、自分でしか開けない。しかし、全ては自己責任だ。それが出来るのならな』とね。絶対に反対されると思っていたから、親の反応にびっくりし、そして親の態度が気持ち悪く感じてしまった。だから、大学を続けることにした。一つ言っておくが、決して逃げじゃないぞ。大学で研鑽を積み、さっちゃんを幸せに出来る大きな男になるためだ。『義』を守れる大きな男だ。それに、経済学をしっかり学べば、天草の村興しを出来るかも知れないだろう」

「それは、よかった。健斗がいると心強い。友達で居てくれて、ありがとう」

 大輔が礼を言うと、健斗は羞恥し、にやけていた。

 すると、背後から嬌声が聞こえてきた。大輔は筋肉痛にて首を回すことが出来ずに、耳を傾けた。健斗も首を回さない。

「健斗くん、どうしちゃったの? 金髪じゃなくなったんだ。でも、黒髪も似合っているね」

 声を掛けてきたのは学部の女たちだった。大輔は殆ど面識がない。一方、健斗は頻繁に遊びに行っていた。女たちはベンチの背もたれを掴み、健斗の顔を覗き込む。

「うん。短髪の黒髪も良い」

「肌も焼けちゃっているね。海に行ったのかな?」

「私ら、何度もメッセージしたのに、既読にもならないから心配していたんだよ。でも、元気そうでよかった。後期も、一緒の授業を取ろうよ。そしたら、講義ノートを皆で共有できるじゃん」

「それ良いね。都合を合わせるのも楽だしねえ。また飲み会もしなきゃ・・・」

 女たちの一方的な話は止まらない。大輔はうんざりしつつも、立ち上がるのも億劫なため、動かなかった。すると突然、健斗は静かに立ち上がり、女たちを静観する。

「ごめん。俺は、ある人と婚約したんだ。だから、金輪際、女とは遊ばないことにした。連絡をしないでほしい」

 女たちの目が点になった。

「え、婚約って、私らはまだ学生じゃん。どこの誰と婚約したの?」

「純粋無垢な女。東京にはいない」

「えー、教えてよ」

「言っても、理解出来ないだろう。もし会いたいのなら、熊本の天草に行くと良いよ。そこにいる。行くとね、君らがもっと魅力的になるよ。女として洗練されるはずさ」

「私は、東京が良い。遊ぶところたくさんあし、エステも沢山あるから女磨きには最適。みんな行きましょ」

 女たちは手を取り合い、ベンチから離れた。

 女たちが学舎に消え、健斗はベンチに座った。

「健斗変わったなあ」

 大輔はしみじみと声を漏らした。

「そうか? これが本来の俺だ」

「天草に連れて行ったことを後悔するよ」

 大輔と健斗は見つめ合い、屈託のない笑みを漏らした。
 

 それから数日後、試合の日を迎えた。大輔はリングサイドのパイプ椅子に座った。横にはアルマーニのスーツを着た吉田が立っている。大輔の初戦だからだろうか、会場は異様な熱気に包まれている。大輔はそう感じた。もしかすると、心臓の鼓動が会場の空気を振動させているのかも知れない。

「昨日身体を休めたから、万全だろう」

 吉田は大輔へ声を掛ける。

「はい」

 大輔は返事をした。昨日、二人は格闘技用のパンツ、グローブ、マウスピースを買いに行った。過度なトレーニングをしていないとはいえ、筋肉痛が抜け切ってはいない。肉体の節々が悲鳴をあげていた。

「今日の相手は、そこまで強くないだろう。体格も同じくらいだ。日本拳法の出身らしい」

「そうですか・・・。頑張ります」

 大輔は小声で答えた。緊張のあまり、威勢の良い声を出すことが出来なかったのだ。

 レフリーがリングへ上がり、マイクを握った。

「青コーナー 斎藤 大輔」

 大輔は吉田の見様見真似でリングによじ登った。リング上で飛び跳ねてみると、リングマットの反発力に驚く。すると、ソファ席から拍手が飛んできた。大輔は観客席に向かって、深々と頭を下げた。

「赤コーナー 五十嵐 篤」

 対する五十嵐がリングに上がる。大輔は五十嵐を見る。吉田のいう通り、同じくらいの体格だった。だが、五十嵐がどのようなに、攻撃を仕掛けてくるかは皆目見当がつかない。そもそも、日本拳法という格闘技を聞いたことがない。どのような格闘技だろうか。対策が浮かばないため、吉田の攻防を想起して試合のイメージを膨らます。

 レフリーに集められ、大輔と五十嵐はリング中央でルール説明を受ける。それから、各コーナーに分かれた。大輔は吉田を見る。吉田は腕組みをして、自ら試合をするような形相だった。恐ろしいほど静かで、威厳に満ち溢れていた。

「大輔、死ぬ気で行け。幼馴染が言葉を思い出せ。それが『義』だ。それが男だ」

「はい」

 大輔は喉が張り裂けるほどの声を出した。声を出すと、肉体を縛っていた緊張が解けさり、新しい何かが芽生えた。
 
 ゴングが高々と鳴り、大輔は駆け出した。


完結





長編にお付き合い頂きありがとうございます。これにて『義』は完結です。ご感想など、お待ちしております。


花子出版     倉岡


文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。