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雲の影を追いかけて  最終章



最終章

 秋声を聴きながら、裕は歩いていた。右手には祥子の手をそっと握り、左手にはコンビニエンスストアの袋を持っている。土手に生える桜の木の葉が、赤や蜜柑色に色付く。紅葉を見ながら散歩する人や、深秋をカメラで撮影する人が河川敷に溢れていた。裕と祥子は暫く歩き、頭上に桜の木の枝が伸びるベンチに腰を下ろした。上流から流れる河のせせらぎが聞こえてきく。裕はコンビニエンスストアの袋から、野菜ジュースを取り出し、ストローを刺して祥子に渡した。

「ねえ、懐かしいわね。私達が、初めて話したのはいつだったかしら?」

「覚えていないね。でも、あれから数年経つだろうな」

 二人は川の流れを見ながら、野菜ジュースを飲んだ。

 裕は芥川賞の受賞以降、定期的に本を出版し、複数の言語に翻訳され、まずまずの売り上げとなった。講演会やラジオへの出演を繰り返し、知名度は膨らんでいった。『年の差婚』の話題性は燐寸の火のように一時的であったが、結果的に裕の活動出来る土台となり、生活は安定した。

 祥子の足腰は以前より弱くなっていたが、裕と散歩することによって老化に歯止めをかけていた。定期的に美容室へ行き白髪を染めている。祥子の手料理は、以前と変わらずとても美味しかった。

「裕君。何を読んでいるの?」

「うん。新聞さ。最近、亡き文豪の小説ばっかり読んでいたから、時事問題にも触れないといけないと思ってね。小説の題材になるかも知れない」

 新聞の一面には、事件や事故のニュースが並んでいた。裕は溜息が漏れた。暗いニュースを閉じるようにページを捲った。すると、芸能ニュースが目に入ってきた。

『衝撃の『年の差婚』の再来
 昨年離婚した咲子と離婚した、日本映画界の大物俳優、岸本順次「六十三歳」が、女優の緒方郁子「二十七歳」との結婚を事務所が発表。緒方郁子は現在、妊娠三カ月目・・・』

 祥子は裕の読んでいる記事を覗き込んだ。

「へー。岸本順次はまた、『年の差婚』なのね。人気あるんだね」

「やれやれ」

 裕は呟き、新聞を閉じた。

「もう読まないの?」

 裕は頷き、新聞紙をコンビニエンスストアの袋に戻した。

「『年の差婚』って、私達みたいね」

「そうだね・・・。ねえ、祥子さん。引越しをしようか?」

「唐突ね」

 祥子は珍妙な表情を作った。

「この街を離れ、新しい街に行っても良いかなと思った。どこか行きたい街はあるかい?」

「海の見える街が良いわ。一度住んでみたかったの。どこが良いかしら。一緒に探しましょう」

「海かあ。良いね、そうしよう。もう少し散歩してから、これからの計画を立てようか。僕らの人生の」

「嬉しい」

 裕は立ち上がり、祥子に手を差し出した。祥子は裕の手を握った。祥子の手を引くと、祥子の身体が雲のように軽く感じた。

 新聞と飲み干した紙パックが入ったコンビニエンスストアの袋をゴミ箱に捨て、二人は河川敷を歩き出した。少し強い横風が吹き、色付く葉っぱが舞った。裕は肌寒く感じたが、心地良くも感じた。
 
 太陽の日差しは雲で遮られ、雲の影が二人を穏やかにゆっくりと追っていた。







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