『義』 -ドライブ- 長編小説
ドライブ
潮騒が心地よい。身体を揺らす波も心地よい。旅愁にて蘇る、貴洋との記憶の数々も心地よい。
「貴洋くん」
大輔は声を上げた。貴洋は、どこにいるのだろうか。
熱された砂浜へ上がった。健斗と咲子は並んで座り、楽しげにお喋りに耽っている。声が一面に広がっていた。大輔の姿に気がついた咲子が手を振る。
「大輔くんも、こっちに来なっせ」
大輔はブルーシートに戻り、健斗の隣に座に座った。健斗からお茶のペットボトルを貰って飲むと、緩くなり不味かった。
「大輔くんは、相変わらず運動神経がよかね。それに、筋肉も凄か。健斗くんが羨ましがっとったよ」
咲子は健斗の横から顔を出して言った。
「子供の頃から、運動が好きだったからね。大学でもトレーニングルームに通っているよ。まあ、ある人に比べたら、ヒヨコみたいな身体だけれど」
大輔は吉田の肉体をイメージした。
「誰それ?」
「それは、言えない」
「怪しい。もう、幼馴染じゃん」
咲子は頬を膨らます。すると、健斗は人差し指で、咲子の膨らんだ頬を突っついて、潰した。
「大輔が言っている『ある人』は、この俺にも教えてくれないんだ。だから、例え幼馴染のさっちゃんでも、教えないと思うよ。原来、男は隠し事の一つや二つを抱えて生きるものなのさ」
「へー。じゃあ健斗くんも、隠し事あると?」
「今は内緒」
健斗の表情がにやけた。咲子は再び頬を膨らませた。
太陽が水平線に沈みかけた頃、三人は荷物を片付けて車に戻った。砂を払い、トランクへ荷物を乗せる。大輔が運転席のドアを開こうとした。
「泳ぎ疲れただろうから、俺が運転するよ」
健斗は素早く運転席に座った。
「ありがとう。じゃあ、さっちゃん、助手席に乗りなよ」
大輔は後部座席の扉を開けようとした咲子へ言った。
「うち? うん、分かった」
咲子は不思議そうな顔を作り、助手席に座った。
車は真っ赤な夕日を受けながら、海岸線を走り出した。咲子が行き先を支持し、健斗が慎重にハンドルを切る。二人の会話は、波と泡沫のようにいつの間にか混じり合い、幼馴染の会話のように心地よく車内に響き渡った。大輔はドアガラスに頭を預け、暮れ行く夕日を眺めた。
日が沈み、車のヘッドライトが細い道を明るく照らした。電球の切れかけた街灯が、道路脇の夏草を照らしていた。
「今日はありがと。良い休日だったね。またね、大輔くん、健斗くん」
咲子は手を振り、帰路へ就く。咲子が玄関へ消えたことを見届け、健斗は車を進めた。
大輔と健斗は、帰宅して部屋に入った。疲れが雪崩のように押しかけ、畳の上に大の字に寝そべる。扇風機が羽音を立てる狭い室内に、日に焼けた男二人の肉体が、まるで蒸し蛸のように転がった。
「さっちゃんと仲良くなれて、よかったな」
大輔は言った。
「気を使ってくれてありがとう。益々好きになってしまった。もし、貴洋くんが、さっちゃん所へ帰らないなら、俺が貰いたい」
「貰いたいって言っても、健斗はまだ大学生だろ。どうするんだ、大学も、東京も」
「天草に住むのも良いかも知れない。都会の喧騒を離れて、好きな人と田舎暮らしさ」
「不便だぞ。今日、天草の道を走って分かっただろう? 田舎は生易しくはない」
「そうだな・・・」
健斗は寂しそうに言い、枕元に転がっていた文庫本を開いた。
「飲み物をとってくる。何か飲む?」
「ありがとう。今は要らない」
健斗は笑みを作り、視線を本に戻した。大輔は立ち上がり、キッチンへ向かった。
キッチンの明かりが消え、隣の居間にて、父と母が麦茶片手にテレビを眺めていた。二人共、風通しの良さそうな麻布のだらしない格好だ。大輔は食器棚からグラスを取り出し、居間に座った。
「大輔、顔が真っ赤ばい」
母が噴き出しながら言った。父も大輔の顔に目を向けて笑った。
「牛深に行って、泳ぎまくってきたからな。久し振りに、海で泳いだら気持ちがよかったよ。相変わらず、海も砂浜も綺麗でね。それに、さっちゃんも元気そうだった」
「咲子ちゃんと行ったと? あんた、まさか、こん前に話ばした、暴力のことは話しとらんやろね?」
母が怪訝な表情を作る。父は聞かなかったかのように、テレビへ視線を戻す。
「俺はしてない」
大輔は言い切った。
「そんならよか。ほんに、あんたは・・・」
母はテレビへ視線を戻した。大輔は麦茶を注ぎ、一気に飲み干した。
「なあ、貴洋くんの親は、さっちゃんたちのことへ、何か言ってた?」
「最近は話しとらんけん、分からん。あんた、人ん家んことを、あんまり詮索せんごつ。勝手に聞きに行ったら、承知せんばい。皆、そん家の事情があるけんね。大人なら分かるやろ」
「分かるような、分からないような。幼馴染だったのに、残念だ」
「仕方なかたい。今は、遊びに来とらす健斗くんと楽しんだらよか。貴洋くんと咲子ちゃんの件は、二人で解決さすけん、口を出さんごつね」
大輔は立ち上がり、冷凍庫から氷を取り出してグラスに入れ、部屋に戻った。
部屋に入ると、健斗は寝息を立てていた。顔には、開いた文庫本が、絶妙なバランスを保ちながら乗っている。大輔は照明から垂れる紐を引き、豆電球の明かりに切り替え、健斗の顔に乗った文庫本を本棚に直し、タオルケットを彼の身体にそっと掛けた。健斗の瞼がぴくりと動いたが、寝息は続いた。大輔は窓辺に座り、バーボンをグラスへ注いだ。
バーボンの香りを鼻で楽しみながら夜空を眺めると、満月が浮かんでいた。満月の明かりが、どこか哀愁に満ちていた。プールへ忍び込み、貴洋と一緒に眺めた同じ満月のはずだ。満月が、自分と同じように歳を取ったのだろうか。バーボンを一気に飲み干す。グラスが空になると、バーボンを注ぎ、又一気に飲み干した。
続く。
長編小説です。
花子出版 倉岡
文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。