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言葉の暴力

オリンピック選手に対するSNS中傷が問題になっているとの記事を読んだ。

SNSの普及は、人間同士の繋がりを生むと同時に、人間を不健康にもした。

昔はいじめや誹謗中傷をする相手が見えていた。今は見えない敵が多すぎる。見えない事をいいことに、相手の気持ちなんて考えず、言葉の暴力を振るってくる。そして相手が法的手段に出た、自殺した、そんな事が起こると、自分が振るった暴力の履歴を消しにかかる。本当に気持ちが悪い世の中だ。その程度の覚悟で人を傷つけるな!と思う。

殴る蹴るは身体を攻撃する暴力、言葉は心を攻撃する暴力。現代では、私は犯罪として同等レベルに扱われるべきだと思うが、前者の方が重く扱われる傾向にある。
自分で選んで表に出てる人間なんだから叩かれるのも覚悟の上でしょ、そんな声を聞いたこともある。いや違う。その人達は好き勝手殴ったり蹴ったりしても罪にならないでしょ、と言っているのと同じこと。許されるわけがない。

そしてオリンピック選手。
誰1人、彼らを誹謗中傷できる人間はいないと思う。前回のオリンピックからの3年間、いやもっと長い期間、血の滲むような努力をし、押し潰されそうなプレッシャーと戦い、オリンピックの試合の1日に全てをかける。そんな日々を送ってきた人達を、外野で見ている人達が傷つける資格はない。

叩いてる人達に聞きたい。

同じ期間、たった1日のために、同じだけのプレッシャーと戦い、同じだけの努力をしたことがありますか?

大半がないだろう。
そもそも他人を叩く暇がある人達なんだから。

昔上司に言われて覚えてる言葉がある。
「忙しい忙しいって言ってる人は、忙しいアピールをする暇があるんだよ。本当に忙しい人は忙しいって言ってる暇もない。」
たしかにそうだな、と思った。

それから、この言葉を色んなパターンに当てはめて物事を見るようになった。
誹謗中傷してる人を見ると、「あぁ……暇なんだな」と思うようにもなった。暇つぶしに他人を誹謗中傷して楽しんでるのかと思ったら、より一層、気持ちの悪い不健康な世の中だと思った。

みんな仲良く平和で肩組んでいきましょう!とまでは思わないけど、傷つける必要性は全く感じない。見えない事をいいことに、あえて傷つけにいくのはなんで?と思う。叩いたら、叩いた方が形勢逆転で悪者になりますよと。自分で自分の価値を下げにいかなくていいのに。
いじめや誹謗中傷は、やればやるだけ自分に返ってきて、自分の価値がどんどん下がると思った方がいい。
自分は正しいんだ、自分は強いんだ、なんて大きな気持ちになってるなら、それは間違ってる。いじめや誹謗中傷なんて汚い手段を取った時点で、とっくに負け組だ。


なんだか昔よりも不健康な世の中になってしまった。
後日別で書こうと思うが、私もいじめにあったことはある。痛みがわからない、知らない人間ではない。この性格だからね……気に食わないって思われる人ももちろんいた。でも相手が見えていたし、わりと私は相手が興味をなくすまで静かに戦った(気にしないフリをし続けた)方だと思う。
見えない敵は、戦うのが難しい。気づかぬうちに心が傷つけられていくとも思う。
子供達にとっても、子供のみならず立派な大人までもこんな汚い事をしているのは、教育的にも、彼らが生きる未来にも、良いことは一つもない。
真正面から人と人が向き合わない、気持ちの悪い世の中だ。


健康でまっすぐな世の中に戻っていくことを祈っている。

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