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出世がすべてではない

私は、出世がすべてではないと思っている。

先輩にゴマをすろうとか、それで実力がない出世しようとか、全く思わない。実力が正当に評価されて出世はするべきだから。

実は私は、昨年度までの4年間で、異例のスピードで昇進した。全くゴマをすったりしていない。むしろ理不尽や忖度と戦っていた気がする。
ただ一生懸命、会社のことを考えて、会社にとっていいと思う選択と提案をしながら、ガムシャラに仕事をしていただけだ。上にゴマをする暇などない。

私の昇進は、仕事を正当に評価して頂けたんだなと思っている。正当に評価してくれる上司がいてくれることは、ありがたい。ゴマをすられるのが大好きなタイプの上司だった場合、私は確実に昇進せずに平社員のままだっただろう。

こういう上司にはついていった方がいいと思っている。自分の成長のためにも、良いことも悪いことも適切な評価をしてくれる上司であることは大切だ。ゴマをすって昇進して、異動や転職で別の上司につくことになった場合、実力のないまま戦わないといけなくなるからだ。役職がついてるだけで伴っていない人間になってしまう。役職が上になればなるほど、言ってくれる人がいなくなるし、この裸の王様状態に気づけなくなる。何に対しても、言ってくれるうちが花だと思っている。


役職は、正しいことを通すため、上の役職の人と対等に意見するための武器として使うと決めている。
役職・年齢等の表面上の情報で他人を判断しない私にとって、役職はどうでもいいものではあるが、社内で自分の意見を通すのに必要なのであれば、自分自身は役職が伴っている方が単純に武器としてはいいと思っている。

私は上司よりも部下のことを考えている。
文章で書く時は、上司の対義語が部下なので、仕方なく部下という言葉を使うが、私は部下という言葉が嫌いだ。「下」という漢字が入っているのが気に入らない。先輩後輩のような時系列だけを示してる言葉の方がしっくりくる。

後輩から学ぶことはたくさんある。
これは中学高校の部活動の時からそう思っている。改めて考えると、上だ下だなんていう小さなプライドは、かなり前に捨て去っていたか、元から持ち合わせてなかったかのどちらかのようだ。
でも先輩世代は、後輩の事より自分の得を考える人が多いのも確かだ。そこと私は戦っていきたい。私より長い人生・長い会社員としての未来を送る後輩達にとって、少しでもいい会社・未来ある会社になってほしいからだ。

私の昇進は、スピード・性別・年齢、どれを取っても社内では最速だと思う。自分の役職よりも上の役職の中では、最年少だ。

妬む先輩もいるだろう。
ゴマをすって昇進したんだとか思われてるかもしれない。そう見えてるならそう思っとけと思って、気にしない。何を言われようが、結果は結果だ。
でも私は、そんな先輩達よりも何十倍何百倍も努力してきた自信はある。私は器用ではないから、裏で人の何倍も努力しないと結果が出ないのだ。他人を妬んでる暇もない。頑張ってるアピールをする暇もない。
逆にそんな捻くれてる先輩以外からの人望はある方だと勝手に思っているので、それも気にしない要因ではある。

出世は努力の結果であるべきだと思う。
出世をした事実だけで素晴らしいとは思わない。その出世に、努力・正当な評価・実力・人望すべてが伴って初めて素晴らしいと思うべきだと思う。
どれだけ出世をしたとしても、自分に1番厳しく、努力を怠らない人間であり続けたいと思っている。

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