幕間にはホットココアを

 彼女が世界に置いてかれた日には、僕がシアターを組み立てる。
 次の朝にはきっと雨が降る、そんな夜。
 一枚の毛布と二枚の座布団。僕は季節外れの半纏を羽織り、瓦の上で待つ。傍らには、湯気を立たせるマグがひとつ。
 
 街は、とっくに深い藍色の海に沈んでしまった。午前三時に残るのは、薄く色づく電灯と、ときおり響くエンジン音だけ。僕は灰色の雲のふちを視線でなぞり、今日の〝ひみつ〟を考える。僕と彼女の宇宙のひみつを。
 
 しばらくして、みしりと瓦が窮屈そうな声をあげた。夢の世界から降りた彼女のお出まし。大人におやすみを告げたはずの女の子がそこにいた。
 
「きょうはなんの話なの?」
 わずかな明かりに目を細めて、彼女は僕の隣に腰を下ろす。毛布をかけると、こてりと肩に重みが乗った。柔らかな髪、細っこい腕。ちいさな手が、マグカップを包む。
 
「そうだなあ……」
 空の向こう側を、空想する。
「ある星で流行ってる、さかな釣りの話をしようか」
「うん」
 
 僕は彼女と、束の間の夢を旅するストーリーテラーだ。
 
 *
 
 銀河に浮かぶそのちいさな星は、すりガラスのような膜に覆われていた。外は見えず、住人はぼんやりと灯る橙や白の明かりをもとに銀河を想像するばかり。
「住人たちはあいまいに見える膜の向こう側を楽しんでました」
 僕に続いて彼女も曇天を見上げる。向こう側の星は、ひとつも見えない。
 
「けれど、星でいちばんの絵描きだった少年は、『銀河』を知りたがりました。想像を重ねてキャンバスに描き出すにとどまらず、本物を目にしようと紐の梯子を上り、上空にぽかりと開いた穴を目指します」
 数字を使って世界を分解するのが好きな彼女は、わかりやすく目を輝かせた。彼女は、いつだって僕が物語の世界の解像度を上げる瞬間を好む。
 
「たどり着いた先で見たのは、濃紺の河を流れる輝き。それは、河を泳ぐ魚の軌跡と同じでした」
「おさかな…」
「そう。そして彼は『もっと間近で』と、さかな釣りを始めました」
 釣り上げた魚はどんな場所でも泳いだ。尾びれが星屑をこぼす。その星にとって初めての『銀河』。手に届く場所に溢れた銀河に、住人はすぐとりこになった。
「さかな釣りは大流行。専用の――
 
 ――とす。
 
 肩にかかる重みが、大きくなる。彼女の健やかな寝息が夜にとけた。
 知りたがりの少年が星を変える『銀河のさかな釣り』はここで終いだ。
 
 毛布で彼女をくるんで、僕はその額にくちびるを寄せる。
「……おやすみ」
 彼女の飲み残しのココアはまだ温かい。
 
 あしたも自分の世界を生きる彼女の幕間。
 僕は舞台と舞台の間をつなぐ。
 
 何度でも。君が眠れるように。


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企画「土曜日の電球」より
お題「幕間」をお借りしています。

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