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親知らず、旅立ちのとき

昨年10月末に大きな巣立ちを経験しました。20数年ともに過ごしてきた仲間との最後のお別れです。悩まされたことの方が多く、やっかいで頑固者でしたが、無事に親離れをしました。・・・そう、親知らずです。

私と親知らずの抜歯のエピソードは過去にも書かせていただきました。

2019年10月末。いよいよ親知らずの抜歯の日となりました。味覚障害も残る可能性、麻痺が残る可能性も説明が載っている手術同意書にサインし印を押したのは当日の朝でした。

意を決して大学病院に着きました。私の担当医は、右側に私と同年代くらいの若い男性。そして左側には40代中頃程のちょっとベテラン感のある男性。手術感のある青い服にマスク、鼻から上は透明のプラスチックのようなカバーで覆われています。一気に物々しい雰囲気に包まれました。

ユニットが倒れるだけで硬直する私に、背後から歯科医が不敵な笑みを浮かべて「ふふ。怖い?」と聞いてくる。あれ。どこかでも似たような扱われ方したような・・・(詳しくは過去記事↓を)

そう思いましたが、深く考える気持ちの余裕も時間の余裕もなく、横に倒されました。すぐに手術に使われるシーンで見たことのある青い不織布覆布を被せられます。「見えなくなるけどね。大丈夫だからね。何かあったら手を上げて教えてね」。うーん。何か違和感と懐かしい感じと・・・考えを巡らせるとすぐに局所麻酔をかけられました。麻酔が痛いと思っていたので、体は固まる一方でした。しかしあまり痛みはなく余裕・・・

キーーーーーーーン!!

余裕を出そうとした次の瞬間に、歯を突き破って顎から喉、首元や頭にむかって突き刺すような痛みが走りました。あまりの痛さに、まな板の上で抗う魚のように暴れまくる私。

「ごめんね~痛かったね~」

とてつもなく冷静な先生(右。執刀医!)。ふふふと笑う悪魔の先生(左)。私があまりにも痛がり、怖がるので、別の種類の麻酔を追加することになったようです。おかげで痛みは少なくなりました。

「歯を引っ張るから顎が押されるよ」「ちょっと抜けにくいから、削るよ」「変な音が出るよ」と逐一報告していただいたおかげで、歯をゴリゴリ削ったり、ボキボキやミリミリといった脱臼したような音がずっと鳴り響いていましたが少しずつ肩の力が抜けていきました。

案外手こずっていたことは確かなようで「あれ?」「いけないな」「無理か・・・」と小声で聞こえました。私はすがるような思いで、先生が歯を引っ張るのに合わせて「抜けろ!」「抜けてくれ!」「抜けるんだー!」と心の中で掛け声をかけていました。

想像していた「スポン!」という感じとは全く異なっていましたが、私の掛け声の甲斐もあり(!?)1時間弱で親知らずは親の元を離れていきました。

ほっとしてスッキリしただけではなくて、抜けた親知らずを見ると寂しい気持ちにもなりました。今まで頑張ってくれた厄介者。問題児ほど愛着がわくというのはこういうことでしょうか。

予想以上に穏やかな心持ちで病院を後にしました。が。

麻酔が切れてからが本当の勝負でした。家でうずくまり、ズキズキする痛みに悶絶する私。痛み止めを飲むにも口の中が血の嵐。血を飲み込みすぎたのか、胃もたれに似た感覚にもなりました。

1週間くらいはなかなか回復せずでしたが、緩やかに回復しました。実は昨年親知らずの抜歯をしてから下書きを書き続けていたのですが、思い出すのに気が乗らず、寝かしに寝かし続けていつの間にか年越ししておりました。麻酔が1番痛くて、未だにトラウマです。

一連の親知らず関係で、歯の有り難みを実感できた体験でした。文章にまとめようと思っていたから乗り越えられました。ここまで読んでいただいてありがとうございました。

実はまだ居残り組の親知らずもあります。定期検診に行くたびに歯科医師さんから、「残り、どうします?抜くこともできますよ」と私のビビリを知っていておちょくられる日々です(やはり医療職の皆さんに子供扱いされる率が高いです。謎です)。

また気持ちの整理がついたら親離れさせる、かもしれないし親バカを発揮してずっとぬくぬく育てているかもしれません。


最後まで読んでいただいてありがとうございました!「スキ」とても励みになります。マイペースに投稿しますが、これからも時々覗いてみてください。