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ぺこぺこと、イタリアン

反射神経は悪くないが、運動神経がすこぶる悪い。
というのも、エスカレーターの初めの一歩を踏み出すのが苦手で、子どもの頃は中々タイミングを掴めず、よく後ろの人に嫌そうな顔をされた。

それと同じくらい苦手なのが、親しい間柄の人間を疑うということ。
自分にとっては一定の距離を取って関係を結んでいるつもりでも、周囲の人からはよく「あなたは人を信用しすぎ」「もっと疑ってかかれ」と注意をされたり、心配されることが多い。

「簡単に人を信じるな」「人を疑え」

小学校の頃は、「仲間を信じよう」「むやみやたらに人を疑ってはいけない」と他人を信じることの尊さについて学んだはずが、社会に出ると、簡単に人を信用し騙されたり、取って食われた側の人間は「頭が回らない馬鹿」だと烙印を押されるのはどういう理由なんだろう。
かくいう私自身、お金にはシビアな方なので印鑑をポンポンついたり、同世代の女子よりは弁も立つのでマルチ商法やネズミ講に引っかかるタイプではない。
恋愛・友人関係で「人を疑え」「信用するな」と言われることが多いのだ。

子どもの頃から、深く狭くの人間関係を構築するタイプだったので親しくなるまでの時間が掛かる代わりに、一度懐に入れた人間を嫌いになることが基本ない。
幸いにも親友と呼べる間柄の友人たちは、私と同じく温厚でそれぞれ趣味や日常生活を楽しんでいる人たちなので喧嘩自体をすることがないのである。

ただ、私の中で一定の線引きがあって、その境界線を踏み越えられた場合には黙ってしばらく距離を置くか、あるいはそれきり関係を断ち切るという選択肢を取ることもある。

遥か遠い昔に、恋人だったオラオラ君もその一人だった。
スポーツマンだった彼は背が高く、電車に乗る時には両太腿を30センチ幅に広げて座席を陣取るタイプの人だった。
ユーモアがあって、優しいけれど、時折コンビニの店員への態度や公共交通機関でのマナーにはどうしても目を潰れないことが多い。
なるべく、彼と電車に乗る時には「すぐ降りるから、立っていようよ」と薦めるか、ガラガラで車両に人がいないときには何度も膝を叩いて足を閉じるようにジェスチャーで促した。

ピンチはチャンスであり、チャンスはピンチである。

就活本で良く書かれている言葉の通り、長所/短所は表裏一体であり、
その両方を持たない人間はこの世にいない。
母親から「他人の良いところを見つけなさい」と口酸っぱく言われて育ったので、どんな人だとしても良いところだけを見るように努めた。
けれど、私の良いところ探しの限界は案外すぐ近くにあった。

オラオラ君とイタリアンレストランに訪れた際、パスタを食べている最中に誤ってシルバーを落としてしまったときの話だ。
「すみません、有難うございます」
替えのフォークを届けてくれたウェイターにお礼を伝えると、オラオラ君は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「前から思ってたけど、店の人にぺこぺこしすぎ」
「えっ」
「こっちが金払ってんだから、そんなぺこぺこしなくてよくない?」

きっかけを掴んだように彼は、私がバスやタクシーに乗るときに運転手に向かって「ありがとうございました」と御礼を言うこと、お店で注文確認のときに「お願いします」と一言添えることについて、他人に舐められる行為であり、無意味であると不満を漏らした。

「そもそも、それって良い人に思われたいだけでしょ?」

ぺこぺこ。
なんだか文字に起こすとはらぺこあおむしのようで可愛いオノマトペだが、そこに可愛さは存在しなかった。
たくさん記憶に残っていたはずのオラオラ君の良いところが、〈ぺこぺこ〉とともに湯気のように蒸発して消えてしまった。
消え去った粒子を集める努力をせずに、私は「そうだね」と心にもない相槌を打つと目の前のパスタを食べ切った。
大好きなクリームソースは、冷めて固まってぼそぼそと舌に残った。

「他人の良いところを見つけなさい」という言葉の真意は、良いところだけを見つめて悪いところに目を潰れという意味ではない。
悪いところにも目を逸らさずに、見つめていかなければならないということ。
疑うことが苦手ということを自覚した今、
せめて自分や他者の悪いところだけは目を逸らさずに見つめていたい。

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