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ちいちゃんが教えてくれたこと


私はDINKs思考である。

※DINKsとは?

《double income, no kids》子供をつくらない共働きの夫婦。
互いの自立を尊重し、経済的にゆとりをもち、それぞれの仕事の充実などに
価値を見いだす結婚生活をいう

goo辞典🔎

物心ついてから、自分の家庭環境が周りとは違うと気付いたので、
「お母さんになりたい」「子育てをしたい」「結婚をしたい」など
世間一般のライフイベントについて学生時代に夢を見たことが一度もない。
極端な例を出すと、虐待家庭が負の連鎖を起こしてしまうように家庭環境に著しい欠陥があった場合も、私は連鎖する可能性が高いと思っている。
※あくまで私個人の体験に基づく私見なので、他の人に限ってはその限りではない。

早い話が、家庭環境に負い目を持っている私が、子どもに愛情を向けられるかと考えたときに自信がないのである。
普通の人ができる「常識」や「愛情」を十分に与えることができないのではないか。
知らないものは、与えることができない。
もし仮に、無責任に子どもを産んでしまったら、子どもが、そしてそんな子どもと向き合う自分自身が傷付くことになる。だとすれば、持たない選択肢の方が合理的ではないかと思考が帰結するのである。

さて。そんなこじれきった私が、先日初めて友人の子どもを抱き上げる機会があった。高校時代の演劇部メンバーとデパートで会うことになり、五年ぶりに上京組で同窓会を開いたのである。
一人は私と同じくシングル会社員で韓国アイドルに夢中のみーな。
もう一人の友人はバリキャリママになっていた伊豆さん。
マザーズリュックを背負って、巨大なベビーカーを押し歩く伊豆さんは、
修学旅行のときに私に「ロリータファッションとパンクの違いについて」熱く語ってくれた大切な友人だ。あの頃、綺麗に着こなしていたドクロマークのTシャツや、シルバーチェーンのブレスレットの面影はなく、ナチュラルなお母さんになっていた。
「ちいちゃんです」
小花模様のワンピースを着た少女は、恥ずかしそうに伊豆さんの足下に隠れながら、わたしにそう名乗った。
目線を合わせるためにしゃがんで「ママのお友達のはなちゃんです」と言うと、恐る恐る私の人差し指に向かって小さな手を伸ばしてきた。
こんな可愛い生き物がこの世にいることが不思議だった。

四人でパフェとケーキを突いて、屋上のプレイランドに行くとちいちゃんが有料のトランポリンをやりたいと言い出した。
伊豆さんはすっかり疲れた様子だったので、かねてより元気だけが取り柄の私が「ちいちゃん、一緒にいく?」と訊くと、小さな彼女は嬉しそうに私の手のひらをぎゅっと握った。焼き立てのちぎりパンみたいな手だった。

「お母さんにお靴を脱がせて貰ってね」

係員の声掛けで、トランポリンのテントに入るためには靴を脱がなければならないことに気付く。
2歳のちいちゃんは自分で靴を脱げないので、私が悪戦苦闘をしながらサンダルを脱がせて抱き上げてテントに入った。
いつもグローブを嵌めて、サンドバッグを鳴らす二本の腕に小さな命が委ねられている。
ワンツー・ボディを繰り出すときよりも、神経を研ぎ澄ませてテントに続く梯子を上ると、ちいちゃんは嬉しそうに着地した。

膝立ちになって、トランポリンを揺らすとちいちゃんは嬉しそうに何度も飛び跳ねた。
真っ直ぐ伊豆さんたちの方を見て、「ママ~!」と大きく手を振る。
やっぱり、子どもの目には、ママしか映らないようにできているのだ。

そのときに一瞬、ちいちゃんと自分の未来が視界を交差した。もしこの場にいるのが自分と血が繋がった子どもで、テントの外で手を振っているのが夫だったとしたら。
たら、れば、なかりせば、だけれども。
あり得ない妄想をしたときに、脳内で今まで感じたことのなかった感情が噴水のように勢いよく噴き出した。

やはり、積極的に子どもが欲しいとは口には出せない。
きっと、この考えは今すぐには変わらないと思う。

けれど、少しだけ諦めていた未来と向き合う勇気が湧いた。

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