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夏と花火とDIY~はなのかんづめ Ep.2~

はなのかんづめ 第2弾
(※はなのかんづめとは、花屋が敬愛してやまないさくらももこ氏に憧れて
書き始めた中身のないエッセイのことである)
身バレ防止も含めてある程度のフィクションも混ぜているので
どこかの世界で生きているOLがチラシの裏に書いている
妄想くらいに思って読み流して欲しい。

*夏と花火とDIY

この時期になると思い出すのが、父方の祖母の葬儀のこと。
花屋家は特殊で、私は物心つく前から
父方、母方含め祖父母と会ったことが片手で数えるほどだった。

母方に関してはとある理由から完全に没交渉で一度も会ったことが無く、
父方の祖父母宅は近所でも有名な犬屋敷だったので
不衛生な場所が小さな子供にとってよくないと
考えた母によって、帰省イベント自体が規制の対象となっていた。

そして、私にランドセルが馴染むようになってきた
小学校2年生の夏。父方の祖母が亡くなった。

祖母は犬屋敷を放置するような姑である。
潔癖症気味の母とは、無論折り合いが悪く
意地でも葬式には出ないと、夫婦間で何度も言い争っていたことが
記憶の片隅に残っている。
結果的に、父と中学三年生の兄だけが学校を休んで
真夏の暑い日に葬儀に出かけていった。

子供心に自分が、蚊帳の外に置かれていると思った私は
母に憤慨し「どうしてお兄ちゃんはよくて、私は葬式には行けないんだ」と
詰め寄ったが、母からは納得の行く答えが出ず
言葉の代わりに差し出されたのが、花火だった。

線香花火を始めとするカラフルな持ち手の火薬が詰めあわされたバラエティパック。

「太郎(当時、庭で買っていた犬)に気を付けて、一緒にやろう」と、不自然な笑顔でそう言った。

家のすぐ裏には海が広がっていたので、
潮風で中々花火に火が付かず空白の時間が多く流れた。

普段、母は私以上に饒舌に喋るタイプだが
その日に限っては静かに粛々と花火の準備を進めていく。
人間の不安は動物にも伝わりやすいのだろう。
母の異変を察知して、黙り込んでいた私を
この日に限っては太郎が慰めてくれた。
※別の機会に書くが、実家の犬は私に全然懐いていなかった。

手持ち花火のほとんどを終え、線香花火に差し掛かろうとしていた時に
ようやく兄と父が帰宅するチャイムの音が聞こえた。
父がのんきな声で「塩、持ってきてくれ~~」とお清めの塩を要求している。
※私の実家は人口も少ない田舎なので、
葬儀の後に車や家に入る時は必ず穢れを落とすために、お清めの塩を身体にかけることが一般的だった。

庭から玄関へは外扉を通じて繋がっているので、
母は塩を持って玄関まで迎えに行くと
父は着慣れない喪服の文句を言い、
兄は兄で葬式なのに食事がひとつも出なかったと
故人を偲ぶ言葉よりも、我先に文句を謳っていた。

兄は、父が棺桶の準備をしていなかったので
棺桶を作るために木目の板を買いに走らされたこと、
そして、日が照り暑い中、男三人(父、兄、叔父)で
手製の棺桶を作らされたという愚痴を言い始め、
先ほどまでしおらしかった母は「手製の棺桶」という言葉で
何か思う所があったのか、笑うこともせず黙って私の手を引っ張って
「線香花火、やろう」と言ってもう一度ベランダに出た。

大人になった今なら分かるが、
20世紀のあの時代にDIYの棺桶などあり得ない。

当時、幼過ぎた私はお葬式の時には棺桶を手作りするのだと
私も両親が亡くなったら棺桶を作らなければならないのかと
悲しく思った。

しかし、そんなことは決してないのだ。

ご覧の通り、うちの父は父方の祖母に似て非常識であり
母は父に比べると道理は弁えている。
姑と折り合いが悪かった母は、葬儀にも出ず
葬儀代も自分の懐からは一円も出さなかったのだろう。
→夫婦の財布はそれぞれ別れており、父の財布は常にすっからかんだった。

棺桶代びた一文出さなかった自分に対する後悔なのか、
または、これまで心の奥底に溜めてきた嫁姑の確執に関して何か思う所があったのか。

線香花火に火をつける、あの一瞬。

母が浮かべたあの捨てられた子供のような瞳を、
私はこの時期がくると思い出す。

余談。
大人になった今、当時の線香花火の時の気持ちを
何かの機会で母に尋ねたことがある。
すると、母は神妙な顔で
「あんまり覚えてないけんど、花火が湿気る前にやりたかっただけちゃうん?」と
なんとも間の抜けた答えを返してきた。

あの瞳のきらめきを「花火の湿気」で終わらせるには、
筆者としてもなんとも筆舌しがたい違和感と、悔しさが残る。

しかし、タイムマシンでも発明されない限り
この謎の究明は難航を極めるようだ。


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