自分の人生を生きている気がしない

前2つの投稿にスキがついていてちょっと嬉しい。まさかつくとは思っていなかったので、誰かが読んで下さったと思うと嬉しいようなちょっと恥ずかしいような⋯励みになります!

昨日の投稿を書いてみて今日は昨日のこの文章についてもっと掘り下げて書きたいと思った。

他人といると相手は自分といてどう感じているだろうか、自分といて楽しいだろうか、今の相手の発言はどのような意図があるのだろうかとかそういうことばかり敏感になり、自分の感情や意見はほとんどの場合無視されてしまう。自分のことは自分でしか分からないのに。で、自分に嘘をついてでも相手に求められているであろう言葉をかける。相手が求めている「正解」を探ってしまう。

自分は物理的には1人しかいないのだが、自分の中には2人いるような感覚がある。どんな人にもこの感覚はあるのだろうか。他人になることはできないから分からないが、私の場合は「自分はこうしたい」とはっきりとした自分の意思のある自分(以下自分A)と「他人(私の場合多くは母親)は私にこうあるべきであると望んでいる、これ以外は認めない」という他人(以下自分B)が住み着いている。

私は自分Bがだいぶ強くてしばしば自分Aの存在がいないものとなってしまう。自分Aと自分Bが真反対の意見で対立しようものなら自分Aは力ずくで自分Bにねじ伏せられてしまうほどだ。それを繰り返すので自分Aはほとんど顔すら出さなくなってしまった。否定され、無視され続けてしまったからである。だから何かを決断したり選択したりするとき、結果に他人が関わってくるだけで自分の意思ではなく他人に選択されているような気がして自分の人生なのにどこか他人事なのでは?という感覚が非常に強くなってきた。

なぜこうなってしまったのかを考えると他人(母親)の思うように生きるということでその人に拒否されたくない、認められたい、受け入れてほしいとずっと思い続けてきたためではないかと思う。21歳にもなって何を言っているのだろうとも思うけど、これが本音である。私には親に褒められたり認められた経験がない。それどころか親から提示された条件を満たしてやっと存在が許されるのだ。もし、求められている条件を少しでも満たさなかった場合これでもかというほど否定されてしまう。無理難題を条件にされたことがないというのも諦められなかった要因の一つであると思う。多少頑張ればクリアできてしまうからこそいつか認めてもらえると信じて必死に頑張った。というか現在進行形である。

また、幼少期から私が意見を言えば頭ごなしに否定されるし、自分がしたことで親が気に入らなければ平気で手が飛んでくる。理不尽なことばかりだったし、成人しても手を出してくるので内心呆れてはいる。しかし親と暮らしている状況で精神的に自己を防衛するためには従うしかなかった。自分を産んだ親に自分を否定されるのって正直めちゃくちゃしんどいのよ。なんで生まれてきたんだろうとか考えてしまう。

その上、そんな親でも未だに否定されたくない⋯親の機嫌を損なうことなく私が頑張ればいつか認めてくれると心のどこかで信じてしまっているから、実際に言われたことでなくても「この行動をしてしまったら親は気に入らないのではないか」とった具合に自分の中の親である自分Bが自分Aより優先されてしまうのである。

自分の価値を認めない親にしがみついて馬鹿だなあと自分でも思うが、もしここで親のことを「この人は私のことを絶対に認めてくれない」というように全否定してしまうと、これまで21年間頑張ってきた自分も否定されてしまう。私は一体なんのために頑張ってきたのだろうか。そして私はこれからなんのために頑張るのだろうか。
早く親から離れなければ今よりも離れられなくなることは分かっている。だから就職のタイミングで絶対に実家を出ると決めている。これは絶対。
きっと自立したら本当の自分の人生を歩めるようになると信じたいが、自分の本当にしたいことが分からなくなってしまった。だからこうやって自分のことを毎日ちゃんと言葉にして、自分の本来あったはずの感情を取り戻せたら良いなと思う。

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