自分不信

人と親密になりたいのに人と親密になるのが怖くて孤独を選んでしまう。

他人を見ていると羨ましく感じる。学校に行っても、街を歩いても、インスタを見ても多くの人が友人や恋人たちと楽しそうに過ごしているように見える。友人を見ていても自分以外にも多くの友人がいて、本当に楽しそうである。リア充爆発しろ!とは全く思わないが、自分にはないからこそ目に留まってしまう。今、私にも友人は多少いるが(とはいってもやはり片手で収まる程度)心から友人と呼べる存在は1人しかいないし恋人は自分から手放してしまった。恋人は欲しいがいくら頑張ったところでどうせ別れるだろうとか考えてしまい、意欲がなくなってきた。

もちろんインスタは日常生活の楽しい場面しか載せていないというのは分かっているし、楽しそうに見えても彼らなりに色々悩んでいるかもしれないしそうでないかもしれない。それに学校に行っても街を歩いていてももちろん一人でも堂々としている人もいる。私もよく一人で行動するし、それはそれで楽しいと感じてはいる。がやはり時には寂しく感じる。

対人関係において私は基本受け身である。傷つくことが怖い。
嫌われたくないし、自分と関わることで相手に迷惑をかけたくないし、勇気を出して誘って拒絶されたら、ということを考えるととても積極的にはなれない。嫌われる勇気がない。
ここにフットワーク重いのも加わるとグループでなんてとても仲良くなれず、、3人以上になると空気になりがち。2人で話しているところに相槌を打つだけの存在になってしまう。だからほぼ強制的に友人でも1対1で関係を築いていくことになるのだが、今度は距離が近すぎたり、そうでなくても長期間仲良くしているとだんだん避けたくなってくる。誰にでも良い面悪い面があり、一緒にいすぎると悪い面が目についてしまうのもあるが、根底にあるのは私のどこが良くて一緒にいるのだろうか、ということなのではないかと思う。多分自分のことも他人のことも信じきれてないのだろう。自分には価値がない→なぜこの人は私と一緒にいるんだろう→この人がおかしいのでは無いか(不信感)→嫌な面が見えるというようなプロセスを辿っているように思う。本当の自分をさらけ出して受け入れてもらったという経験がない、ということにもつながるのだろうが。
恋人と一緒に過ごしていても、どんなに愛されていると感じていてもだんだんこちらの余裕がなくなってくるとどうせ自分なんかいつか嫌われてしまうとか考えてしまい、嫌われる前に別れてしまいたいと無意識的に思って相手の嫌な面ばかり探すようになり、半ば勢いで別れてしまう。これを何回発症してきたことか。こんな自分を受け入れてくれる人なんているわけない。どうして自分で受け入れられないのに他人が受け入れられるだろうか。しかし自分のことをどうやって受け入れるのかも分からずにいる。それなら諦めて誰一人関わらないようにして生きていた方が精神的には楽である。努力して自分のことは嫌いになんてならないだろうとかこれからもずっと一緒にいるだろうとかいうことを信じるより、自分から離れておいて誰も受け入れてくれないと言い訳する方が楽である。誰かと親密になりたいなら克服しないといけないが、、本当に生きにくい。

いい加減ポジティブな内容も書きたいな。明日は私が愛してやまないアーティスト(バンド?)について書こうと思う。

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