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禁酒地獄変(3ヶ月達成で感じたこと・前編)

 2022年11月1日。私はこの日を一生忘れないだろう。

 この日を境に私は酒を一切口にしていない。そう、今日で禁酒して3ヶ月が経過したのである。おそらく3カ月前に飲んだのが、私にとっては人生最後の酒となる。もうアルコールとは決別宣言したからだ。

 つらい別れだった。だが、それ以上に苦しい別れでもあった。辛酸を舐め、泥水をすすり、惨めな想いを抱え、七転八倒した3ヶ月だった。現在も日常での飲酒欲求は一向に収まらず、なんなら禁酒3ヶ月達成記念で盛大に祝杯を挙げたいと考えてしまうくらいである。

 そもそもなぜ禁酒を始めたのか? まずはこの説明から入るべきかもしれない。

 自分の場合、シンプルに健康診断でひどい数値を見たくないからだった。γ-GTPをはじめとした肝臓の数値は、少し酒をやめるだけで簡単に改善する。もちろん再び飲酒し始めたら数値もすぐに悪化するので、しょせんはまやかしの高評価に過ぎないのだが、年に300日以上飲んでいる人間にとっては1ヶ月酒を抜くだけでも健康的には大いにプラス。いつも肝臓くんには過度の負担をかけているので、せめて健康診断前くらい休ませてあげようではないか……。そう考えたのである。

 結局、健康診断は6週間禁酒した状態で受けた。慢性的に酒を飲む同志だったら、1ヶ月半もアルコール断ちすることがどれほどの苦行が理解いただけるはず。正直、半狂乱になりそうだった。いや、もうなっていたかもしれない。

 ともあれ、私はノイローゼ状態で血液検査を終わらせた。例年だったら「やれやれ」と速攻で酒まみれの日常に埋没するところだが、今回は「もうちょっと頑張ってみるか」という気持ちになった。なにしろめちゃくちゃ禁酒に苦しんだので、もしここで酒を飲み始めてしまったら、また再びやめるときに同じ苦しみを味わわなくてはいけない。それだけは勘弁してほしいと思ったのだ。

 奇しくも時期的には年末だったので、忘年会の誘いもあったし、正月には妻の実家にも帰省した。昼から大手を振って酒を飲めるシチュエーションは整っていたが、鋼鉄の意思で耐え抜いた。

 なんでこんな苦しい思いをしなくちゃいけないのか、自分でも意味がわからなかった。俺はドMに違いない。もしくは完全にイカれてしまったのかも。最後に残っているのは意地だけだった。ここまで踏ん張ってきたのだから、生半可な覚悟で後戻りすることは許されない。のるか、そるか。生きるか、死ぬか。決して大袈裟ではない。不退転の覚悟。命懸けのアルコール断ち。1滴でも酒を飲んだら俺は死ぬんだと自分の脳を洗脳した。

 テレビでアルコール飲料のCMが流れると、当該タレントを「人間性能が低い奴らだ」と心の中で罵倒した。吉田類、トラックめいめい、酒村ゆっけあたりは蔑みの対象もいいところで、社会悪だからチャンネルごとBANされるように通報してやりたいくらいだった。オリラジ・中田敦彦には大いに失望した。あれだけ酒の害悪を説いておきながら、自分は回転寿司屋であっさりハイボールを飲んだのだという。よく生きていて恥ずかしくないなと呆れる。

 そして年が明けてから、予想だにしなかった悲劇が私を襲った。なんと6週間酒を抜いて挑んだにもかかわらず、健康診断の結果が悪かったのだ。正確にいうと懸念していた尿酸値とγ-GTPは及第点だったものの、コレステロール関係と中性脂肪の数値が大幅に悪化していた。

「マジかよ……」

 私は神を呪った。真面目に生きている者が必ずしも報われる世の中ではない。そんなことはわかっているつもりだったが、それにしてもあまりにも無慈悲な結果ではないか。

 禁酒についてはまだまだ言いたいことがたくさんあるのだけれど、ヒートアップしすぎてすでに結構な文字数になってしまった。原稿催促のLINEも来ているし、続きは近いうちに書きます。


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