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ほろ苦かったデビュー戦 水稲編

ピピーピピーピピー
炊飯器がごはんの炊きあがりを告げた。ふと去年の新嘗祭を思い出す。

2019年秋、なんとか稲刈りを終え、新米を口にすることができ私たち夫婦は「おいしいね」と、顔を見合わせて笑っていた。

 私は米作り2年生。昨年デビューしたばかりの若手。2年目にして感じることは、稲刈りが済むとホッとするということ。新米が食べられる喜びより「ひと安心」という気持ちの方が大きいのだ。

ルーキーイヤーだった昨年の話をしてみようと思う

 遡ること2年、2018年9月、稲刈りのあと

「来年から、お前たちで米を作ってくれ」

と、おじいちゃんが私たち夫婦に話した。

 おじいちゃんは、体力的にもうきびしいと感じていたようだったが、決定打を与えたのは2018年8月のこと。
 夕方田んぼから家へ戻る途中、水路に転落し足を骨折、入院を余儀なくされてしまった。
 おじいちゃんが田んぼに行けなくなったからといって稲の成長は止まらない。私たちは病院にいるおじいちゃんに指示をもらいながら、なんとか稲刈りまでこぎつけた。

以前から

「おじいちゃんが出来なくなったらここ(田んぼ)はどうなるんだろう」

と、不安はあった。でもそのうちそのうちと先送りにしながらごまかしてきた。そんな中でのおじいちゃんのリタイア宣言。なんの前振りもなく、翌年の水稲デビューが決まった。

 平日、勤め人として働いている私たち夫婦は、休みの日に農業をするなんてごめんだ! 正直デビューなんてしたくないと思っていた。
でも現実問題としておじいちゃんはもう無理で、私たちは米作りがマスト
といった状況だった。

 2019年3月、春の香りとともに、どこも田植えに向けて準備が始まっていた。うちも右にならえで5月の田植えに向け、田耕、畦ばつり、畔つけ、田ごしらえと準備をすすめた。

 「働かざる者食うべからず」という我が家のルールにしたがい、田植えには大学生で下宿中の息子も戻ってきてイヤイヤながらも田植え機に乗った。
田んぼで私たちの作業を見れば口を出したくなるからか、おじいちゃんは田んぼに顔を見せなかった。完全に私たちに田んぼを任せたという意思表示だったのかもしれない。

 水田には美しく整列した苗が光っていた。そしてその時「おおきに」と言ったおじいちゃんの笑顔も光って見えた。
 田植えの翌日は大雨だったせいか、小さな苗が水に浮いているように見えた。毎年植えた後、何日か苗は浮いたようにゆらゆらしていて、でも気がついた時にはしっかり根を下ろすから、今年もそうなると、さほど気にはならなかった。

 ところが、ある日田んぼを見て違和感を覚えた。綺麗に並んでいるはずの苗がところどころ浮いて流れていたからだ。夫に話すと、そのうち落ち着くだろうとのことだったが、夫が言うように落ち着くことはなかった。夫もおかしいと思ったらしく「差し苗をした方がいいのだろうけど、大変だから別にいいよ」と言った……
が、私はそうはいかなかった。
「待って! せっかく息子が植えた苗、ちゃんと育てたいよ」
と、私はその日の夕方、意を決して差し苗をするために田んぼに入ることにした。長靴をはいて入ったものの、足は取られるし、長靴は脱げそうだし、体勢はかなりつらく、30分ほどで腰が痛くなってしまって、ほとんど植えられなかった。
「おじいちゃん、よくこんなことやっていたなぁ......」

 次の休みには、買ったばかりの田植え用の長靴を履いて田んぼに入った。田植え用の長靴だと先週とぜんぜん違って、さすがだなぁと感心した。

 先週は水が濁っていたけれど、今日は透き通っていたから、おたまじゃくしやカブトガニ、ゲンゴロウなどの姿が見えてなんとなく癒された。
 まずまずのペースで差し苗をしていた次の瞬間、震えがきた。

ヒル~!

知らぬ間に血を吸いはじめ吸いきるまで離さない、あのヒルだ! 虫が全くダメな私はさすがに限界。もういや! 逃げ去りたかったけど、田んぼの中だからゆっくりしか動けないし、慌てたらひっくり返りそうになる。なんといっても手には山盛りの苗を持っていた。ヒィーッと半べそをかき、震えながら、できる限りの猛スピードで差し苗をした。

どうかこのまま無事に成長しますように。病気になりませんように......

 夏になり稲穂もずいぶん成長して、このままいけばお米が収穫できると思い始めていた。そんな時、テレビから台風発生のアナウンスが聞こえてきた。
「え? 台風? 早すぎる......」稲がこけて地面についてしまったら芽が出てしまう。せっかくここまできたのに、お米が取れなくなったらどうしよう。
 今日までの作業が、走馬灯のようにかけめぐり胸がザワザワした。
「次から次へと問題が起きて、米作りしんどいよ」
こんなに大変とは……植えたら勝手にお米が出来るぐらいに思っていた私は
その安易さを猛烈に反省した。

 天気予報通り、台風はやってきた。ゴーゴ―と風が吹き荒れている。その風の音を聞きながら不安で心配でどうしようもないのに、ただ通り過ぎるのを待つしかない。人間の無力さを見せつけられ、自然にはかなわないことを痛感した。
 稲がこけませんようにという私の願いは届かず、たくさん倒れてしまった。その上、大雨のせいで、稲刈りに向け水を抜き乾き始めていた田んぼはまた、水田に戻ってしまった。
なんてこと!? このままほうっておいたら、稲がダメになってしまう。どうすればいい? 夫はネットの中に助けを求めてみたが、結局おじいちゃんや地域の人に相談し、やはりこの水をなんとか抜いて、倒れた稲を起こす作業をするしかないことがわかった。

 私たちが手探り状態で作業をしていると、
「倒れた稲は上から起こしたら楽だぞ」
「水を流す道を作れ」
と、近所の大先輩たちが1年生の私たちに教えてくれた。
「最初からうまくはいかないよ」とも言ってくれた。
困り果てていた私たちも
「今年はしかたないね。1年生だものね」
というところに落ち着き、それからはことあるごとに「1年生だものね」と言い合っていた。失敗だらけだったけれど、こうして私たちは水稲デビューを果たした。

 田ごしらえのあと水田を寝かす日数、田植えの前の水量、植えた後の水の調整、水田のガス抜き、草刈り、病気の予防などなど、水稲1年生はたくさんの経験と学びを得ることができた。

 今年2020年、2年生の私たちは昨年学んだことからいろいろとやってみた。で、なんとか稲刈りまでこぎつけ、ホッとしている。
 よく、手をかけてやれば、ちゃんといいものができるって聞くけれど、本当にそのとおりだ。「育てる」という意味では、米作りも子育ても同じだなぁ~なんて思った。

なんでもかんでも守ってやるのではなく、強くなるように時には負担もかけて、大きくなるのをサポートしながら見守る。
なにかにつけハラハラドキドキ、心配ばっかりだけど、目を離さず(心を離さず)そして稲(子ども)の力を信じて。
愛情を注ぎ続けて、ちょっとした変化に気づき寄り添いながら、一緒に成長する。

すごく共通点があるって思った。心配なのも愛情があるからだし。

まだ2年生、失敗ばっかりするだろうけど、田んぼ守っていかないとな。

新米がとてもおいしい!!



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