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タネを蒔く

糸井重里さんのほぼ日イトイ新聞の「今日のダーリン」の中の言葉
「1年前に考えたことばかりをいまのぼくらがやっていると、次の1年後のぼくらはなんにもしてないかもしれない。ただただ、目の前の仕事を脇目もふらずにやっていると、未来のじぶんたちをがっかりさせることになる。タネ、蒔いてるかい?」

タネ、蒔いてるかい?

にハッとしました。
今咲いている花を愛でて、その花にばかり目がいっていては、次の花は咲きません。また花が咲くように土づくりをしなければいけないし、タネを蒔いてお世話をしなければいけませんよね。

目の前のことを一生懸命やる。それはとても大切なこと。
自分が生きる意味みたいなことを考えるとき私は「こんなはずじゃなかった、こんな人生を望んでいない」と今を嘆くのではなく、今与えられた仕事を一生懸命やるということが、人生を作っていくと思っていました。
ただ、そこにどっぷりはまってしまって、目の前のことだけをとにかくがむしゃらにやっていたら、未来の私は与えられた仕事をやりきってしまい、気が付けば目の前になにもなくなり、「あれ? 何もないぞ」って燃え尽き症候群になってしまいそう。いや、空の巣症候群かもしれない。空の巣症候群ってのは、子どもが家を出たり結婚したりしたときに、多くの女性が感じる憂うつで不安になる苦しみを表すみたいで、まさに子育てを一生懸命やって、ふと終わってみると、なにもなくなってしまうみたいなことでしょう?

だから、タネを蒔くってのは、ある意味自分に投資するってことじゃないだろうかって思います。
「自分への投資」
お金と時間をどう使うかってのは、いつも悩まされます。
自分のために使うお金
必要なものを手に入れるということではなく、形のないところに使うお金。
自分のために使う時間
家事など家族のために使う時間帯を自分のために使う

こういう風にお金や時間を自分のために使う時、私は後ろめたさを感じます。
自分の役割っていうことを意識するからかなぁ……長いこと妻、母、嫁をやってきて、家族のいろいろを優先しなければいけないって勝手に思ってしまうのか、それとも家族を優先順位第一位にしたいという私の希望なのか。
なんだか私自身がどうなのかって考えることが苦手になってしまっているなぁ……

「私、がんばってる」

と、ついつい自分に声掛けをしてしまいます。
そう、がんばってるよ! でもそうじゃないんです。
お釈迦様の教えに「諸行無常」という言葉があります。
辞書には、この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはないこと。人生の無常をいう仏教の根本的な考え。と記されています。
例えば、家族。みんな揃って幸せに暮らしていても、ずっと同じ状態でいられることはありません。まさに諸行無常。また、コロナ禍の今、事業主さんたちは経営が大変です。これまで順調だったのに新型コロナ感染拡大でたちまち状況は変わってしまった。ほんと諸行無常。
はかないなぁとマイナスの気持ちになりそうです。
でも、諸行無常ってそういう解釈じゃないんですよね。
諸行無常の世の中でこうやって生きていることが奇跡。だから生きている今を大切にしようっていう教えなんです。
私がんばっているもん! と胸張って宣言するのではなく、私はがんばることができる、と今の状況が有難いことだと感謝できるようになりたいものです。

今、目の前のことに一生懸命取り組みたい。
そして、未来の私がなにもしていないという残念な状況にならないように、タネを蒔きたい。
優先順位を決めるのは自分。
誰かのために、そして自分のためにお金や時間を使う時、その優先順位をどうするかは自分が決めることです。
私は誰かのためにこんなに時間を使っているんだというのを言い訳に成長を止めたくない。未来の私が今蒔くタネによっておもしろおかしく生きていたい。
そんなことを思いながら、あることに投資することを迷いに迷っています。(笑)

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