まだ、やれるよ?
「もうお母さんだし」とか、
「もう結婚してるし」とか、
「もう40手前だし」とか。
今の30代半ば~後半の人は、
結構、人生諦めがちな人が多い気がする。
「私の人生、こんなもんだよね」と、
何かを諦めてる人が多い。
ネットの世界は「空想の世界」であり、「SNSは見る派」と言う人も多く、「ネットの世界は怖い、怪しい」と思う人もまだまだ多い。
自分の事が好きな人は「ナルシスト」と呼ばれ、自撮りなんてしようものなら指さされて白い目で見られるのが当たり前。
特に田舎ではその傾向が強いように思う。
そんな時代に育ってきた30代半ば~後半の方々に伝えてみたいことがある。
まだ、やれるよ?
私は今38歳で、小学6年生の娘と小学3年生の息子がいて、旦那の両親と共に二世帯住宅で住んでいます。
仕事は、ライフコーチという「その人の生き方を一緒に考えていく仕事」を主にしていて、その延長上で事業のお手伝いやwebデザイン制作・イラスト制作、マネジメント業務、結婚相談所でのカウンセラー業務などをしています。そして、地方の中小企業で会社員もしています。
もともとweb系の学校に行ってたとか、デザイン系の学校に行ってたわけではなく、簿記専門学校に通ってました。学校全体1000人規模の生徒に対し、僅か6名しかいないという超レアな「販売士コース」にいたくらいで、接客業にしか興味がなかった普通の人生を歩んできました。
身体が強い方ではなく、頭痛持ちだし目眩もよくおこすし、熱中症にもなりやすいし、基本的にどこかに通院していて、毎年インフルエンザにかかってたし、もちろんコロナにもかかったし、今も「大人の喘息」で、無理するとすぐ症状が悪化します。
でも、
何も諦めてません。
私は基本的に「諦める」事ってあまりなくて、「やれば出来る」と思うか、「やってみないとわからない」と思うタイプ。だってやってみなきゃわからないから。
でも私の周りは「やらなくてもわかる」と言う人が多く、私が「え~、やってみなきゃわからないのに~」と思ったことをそのまま伝えると、去っていく人が多かった。
「夢見がちな人」に思われていたのだと思う。
なぜ、そう思われていたのか?
それは昭和時代に生まれ、育ってきた私の時代背景にある気がする。
時代背景
ーナルシストー
今思えば、私は小学生の頃、割と白い目で見られたり、一歩離れた所から見られることが多かったように思う。仲の良かった子もいたけれど、クラス全体での、かなり少数派のグループにいたように思う。
当時住んでいたのは、二両編成の電車が1時間に1本通るかどうかのド田舎。
そんな田舎で、写ルンですのカメラで自撮りして、写真屋さんで現像し、B5サイズのアルバムに入れた写真を友達に見せてキャッキャ言ってたのは小学四年生で私くらいだった。
ナルシストだの、自分撮っててキモいだの、「自分で自分が好きな人はおかしい」のが正とされる地域だったし、そんな時代だったように思う。
今は「可愛くてごめん」という歌が流行ってるほど、自分好きで何が悪い!!と言う人も多く、いい時代だなぁと思う。
ー「陰」のグループ「陽」のグループー
小、中、高校生の頃。みんなの輪に入れて、みんなの輪の中心人物が良しとされ、輪に入れない人は「暗いグループ」「キモいグループ」と言われ、「陰」と「陽」を綺麗に分けられていたように思う。
私はちょうど中間くらいにいて、ちょっと変な人とも普通によく喋ってたし、面白い人とは男女関係なくずっと一緒にいたし、「みんなの輪の中に入っていたいけれど、好奇心の方が勝っていた」ように思う。
クラスにいた友達の少ないちょっと変わった男子とも、席が隣になると仲良くなってたりしたのだけれど(基本的に昔から変わった人は好きだったらしい(好奇心の対象))、それを「あんな子と仲良くするのやめなよ」と友達によく言われていた。
「陰」のグループにいると「陽」のグループに馬鹿にされるため、必死で「陽」のグループに入り、クラスの中で明るくキラキラしていないと生きていけないような、そんな学生時代だった。今思えば、みんなそうやって生きてたように思う。
今、私の娘の学校生活を聞いていると、そういったグループ分けはさほど無く、なんと言うかみんな自由なイメージ。イジメもなく、運動する子も居れば読書する子もいて、それぞれの個性を認め合えているような、そんな空気がある。
地域性もあるかもだけど、
今の時代って、優しいなぁとよく思う。
そんな時代で育ってきた私達は、ネットの世界とリアルの世界を大きく分けてる。
ネットの世界の人
私が初めてネットの人と関わったのは高校生の時だった。「出会い系詐欺」とか、「中高生が出会い系で出会った人の事件に巻き込まれた」ことが毎日のようにテレビのニュースで取り上げられていた時代に、絶賛ネットの世界にいた。
有難いことにヤバいことに巻き込まれたことはなく、関わりがあったのは本名も知らない九州の人からフルートを送ってもらったくらい。本当にフルートが届いた時は、姉が「吹くところに毒盛られてるんちゃうん…」「後から高額請求されるんちゃうん..」と本気で心配していた。でもそんなことは無く、たくさん吹いたし体は元気だし、今もそのフルートは棚で大切に保管されてる。
元々、見たものをそのまま信じやすい私は、Twitterで流れてきたものは基本的に本物だと思うし、その人の本心だと思う。でも、怪しい人は見て直ぐにわかるし、勘もいい方なので騙されたことは基本的にないと思ってる。
でも傍から見ると「はなは、何でも信じやすい騙されやすい人」と思われることも多く、注意勧告をされることが多かった。
家族からもパートナーからも友人からもそんな事を言われ、「ネットの世界の人は、信じたくても信じてはいけない。気を付けないといけない。」と、私も自分の基本的な本心に警戒するようになっていた。
今となっては、自分の身を守ることに繋がっているので、この警戒心は持つことができて良かったと思ってる。
その時代で、すでに私の周りに4人以上の人が「ネットの世界は怖い、怪しい」と思っている人がいた。
そして、それは今も変わらず同じで、「ネットの世界はネットの世界の人」という境界線がハッキリしているように思う。TwitterやSNS発信の中に「そこら辺にいる普通の人」がいる事が想像できない人も多い。
「ネットの世界の人」と、「自分の周りの人」は別次元と思ってる人がめちゃくちゃ多い。
「やればいいんじゃない?」が、やりづらい年代
出来ないわけでは無い。
やってみたい気持ちはある。
でも、やると周りから白い目で見られるか、浮いてしまうか、馬鹿にされてしまうか、そんな時代で育ってきた。
「昭和生まれ」の私達は、そういう過去の時代背景があったように思う。
「え、やればいいんじゃないの?」
なんて言おうものなら、
「はなだからできるんだよ」だの
「やりたかったら自分だけやればいいじゃん」だの
「やっても無駄だよ」だの
「恥ずかしいで」だの
よく言われたなぁ。
今思えば、「やってみたらいい」がやりづらい時代だったんだなぁと思う。(もちろん地域性もある)
そして、30代後半ともなると、家庭があったり仕事でも上の方にいたりして、やってみたい事への挑戦が難しい年代でもある。
でも、
まだ、やれるよ?
私はそう思う。
今は、時代が変わってる。
「令和」になってる。
自分も周りも「個性」を認めてくれる時代になってる。
やっと自由に「自分らしく」が貫ける時代になってる。
今まで出来なかったことが、「今」ならできたりする。
私は、まだまだやりたい事がたくさんあるし、「今の生活」も大事にしたいし、自分の身体も大事にしたい。家族も仕事もやり甲斐も、心地いい生活も、何もかも諦めたくないし、我慢もしたくない。
だって、いつ急に人生終わるかわからないから。
後悔したくない。
「〇〇だから…」って理由つけて諦めたくないし、
これを読んでくれる人にも諦めてほしくない。
仕事も家庭も生き方も、知らないだけでたくさんあるしチャンスも転がってるし、自分で掴んでいくかどうかだと思う。
「自分の生き方を諦めたくない。」
「でもやり方がわからない。」
そう思う方のために、発信を続けたいと思う。
まだまだ、諦めなくていいよ。
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