すべては過程になっていく
人生半ばを過ぎて、記憶があいまいになってきている今日この頃。
昔夫と行ったライブをまるっと忘れていることも1回ではなく多々あって、そんな自分にびっくりだ。これ大丈夫かな?やばめかな?
でもnoteを始めてから、忘れたくない事、想いを記すことができている。
これでわたしが日々の大切なことを忘れてしまっても安心だ。
(このnoteの存在も忘れちゃったらキケンだね!)
たいせつなことだけ覚えていたい
本当に不思議なもので、イヤなことはやけに鮮明に覚えているくせに、
嬉しかったこと、忘れたくないことほどスポッと抜けていることがある。
それでもすべて消えている訳ではなくて、ちょっとした瞬間に記憶が蘇ることもある。
30年前に友達のひとことに救われたこととか。
ケガをして意識をうしない緊急入院した時、駆け付けてくれた彼の顔(今の夫)とか。
結婚式の直前、ウエディングドレスを着たわたしを見た時の、
怒ったような泣き出しそうな父の顔とか。
子どもが生まれた翌朝、病室の窓から外を見ると笑顔で手を振っていた
元気だったころの両親とか。
数々のあたたかい記憶が、きっと今のわたしを動かしてくれている。
ほんとうは他にもたくさん、わたしが思い出せないだけで素敵なことがあったんだと思う。今、思い出せないだけで。
大切なことは忘れたくない。
今この文章を書いているこの瞬間、これも過程になっていく。
今は未来につながっている
今はこれから繋がる未来に向かう道の先頭ぎりぎりに立っている。
今感じている苦しいことも、さびしいことも、後悔も、悩みも、きっといつかは忘れてしまう。
だけど。
過去の恥ずかしい失敗は、今のわたしを助けてくれているんだろう。
過去の苦しさも、きっと今のわたしを助けてくれる。
今は今、持っているカードで勝負するしかないんだものね。
今の悩みも、時が経てばきっと未来のわたしを何かの形で助けてくれるに違いない。
しあわせな想い出は、点で存在している
すべてが過ぎ去っていっても、たくさんの喜びの点を大事にとっておきたい。
今はもう会えなくなった人たちも、交わした笑顔が消えてしまった訳ではない。あの時、確かにわたしたちはわかりあえていた。
この前観たドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」で、こんなセリフがあった。
若くして突然死した幼なじみについて、とわ子が語るシーン。
孤独に苦しむ彼女に、相手役の小鳥遊が言う。
「あなたはいつだって5歳の時の彼女に笑いかけることができる」
今は会えなくたって、大切な誰かと生きた事実は消えない。
たとえこちらの記憶がなくなってしまってもだ。
もしもすべて忘れてしまったら、誰かにいつかどこかでゆっくり話しかけてほしい。
きっとまた思い出すから。
歳をかさねることの利点
なんにせよ歳を重ねて何が良かったかって、今即答出来るのは
「忘れっぽくなったこと」!
なぜなら私は何かと引きずるタイプで、過去の記憶を引っ張り出しては
ぐるぐると後悔の渦に巻き込まれてしまうのだ。
「ああすればよかった」
「もっとうまくやれたはずなのに」
きっと過去に戻ったところで、その時の自分では同じ結果になっていたんじゃないかと思うけれど…。
でも忘れっぽくなったおかげで、ちょっと前のイヤなことも、これまでとは比べようもないくらいに引きずらなくなってきた。
いや、引きずろうにも引きずる記憶が高速でどこかへ行ってしまうのだ。
リアルは今だけ。昨日でも、明日でもないね。
今この瞬間も、すべて過程になっていく。
「今」だけにフォーカス出来たら、苦しむことも少なくなるのかな。
なぜならずっと今は、今の連続だ。
喜びの記憶を、noteに記録しよう。
上の娘はもう巣立っていったから、彼女との日々もここnoteに記しておきたかったな。
でもふと思い出すのだ。彼女との日々を。
今日はnoteで一人目育児真っ最中のママの記事を読んでいて、
遠い幸せな記憶を思い出した。
それがどんなに愛しくてあたたかい日々だったか、輝いていたか。
わたしは当時毎日生きることに必死で、記事の彼女のように深く喜びを味わうことは少なかったんじゃないかと思う。
戻れるなら戻りたい。もう一度育てたい。
今のわたしなら、きっと娘をもっと大切にできただろう。
でもそれは叶わない。
この状況下で今は離れて暮らす長女には会えないけれど、
もう後悔はしたくない。
今度会えたら、美味しいものたくさん食べさせよう。
喜びの記憶の点を、今からでも増やすんだ。
すべてが過程になってしまう前に。
今、未来をつくるんだ。
そうしたらそれを、noteに書こう。
わたしが忘れてしまっても大丈夫なように。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日もお疲れさまです。
あなたにとって明日が素敵な1日でありますように。
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