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神様の氣も知らないで。











大切なものは、ありますか。












たとえば愛する人の、
心の在処ありか
知ることができるのならば、
触れることができるのならば、
人は其処へ、
行きたがるでしょうか。






そうだとしたらそれは、





何のためでしょうか。






好奇心からでしょうか。
我が物にするためでしょうか。


相手の許可があればこそ、
触れて良いことになるでしょう。


しかしその許可が下りないのに、
触れて良いものでしょうか。









誰も土足で踏み入れないように、
大切に、大切にしてきた、
自らの聖域を、
聖域であると知りながら、
誰かにその扉の鍵を渡すことが、
あなたにはできるでしょうか。







こんなことは、
取るに足らないほどに、
答えは簡単なのです。








聖域とは、
簡単に足を踏み入れてはいけないのです。
故に神聖さが、保たれるのだから。







しかし人間はかくも愚かで、
見えるもののことだけ考えては、
見えないのを良いことに、
見えないものをないがしろにし、
楽しそうに…







そう、それはそれは、楽しそうに、








けがしていく。








自分の聖域に、
顔も名前も知らない誰かに、
土足で踏み入られたらと、
想像してみることなんて、
取るに足らないほどに、
簡単なことなのです。






しかし人間とは、
かくも愚かで、
そんな想像もできないのです。







そして、
私利私欲に満ちた幸福を、
鈴を鳴らし、手を合わせ、
願うのです。











神様の氣も、知らないで。








hana 言葉の海







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