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それが必要な言葉なら。



 『〇〇教授の授業って、建築科あった?』
 『あったよ。1、2年で必修科目だったから』
 『ノート残ってる?』
 『たぶん』
 『貸して!俺、再履修で…』




 蓋を開け、触れてしまった記憶から、こんな会話を思い出した。






 10代のころから引っ越しや転校を繰り返したにも関わらず、小学校から高校、さらには学科は違えども大学まで奇跡的に同じだった彼は、広い大学構内でほとんど会うことはなかった。しかし、連絡があって会うことになったのか、ばったり会ったのかは忘れたけれども、とにもかくにも、久しぶりに会うなり、こう言ったのであった。


 彼は情報系の学科に通っていた。建築科に通っていたわたしとは、必修科目も学ぶ時期も異なるのは当然のことであった。彼が困っていた科目の正式名称は思い出せないのだけれど、確か線形代数とか、数学系の科目だった。この会話をしたのは大学4年生の、終わりごろのはずで、『今ごろ再履修ってぎりぎりだし、彼そんなタイプだったっけ?』とちょっと心配になったのを覚えている。


 後日ノートを渡し、礼を言われ、『また連絡する』と言って去っていった彼を、今もなんとなく、憶えている。












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 学級委員、生徒会にいつもいるような、正統派に優秀な子だった。今となっては彼を言葉でどう形容すればよいものかわからないけれど、優しかったし、礼儀正しかったし、成績もそれなりに優秀だったのではないかと思う。


 ものすごく大きなトラブルを起こすわけでもなく、クラスの代表だからといって威張るわけでもない、フラットな子。誰とでも話せてそつなく様々なことをこなすけれど、クラスの代表であるが故に融通が利かないところもあり、一部のクラスメイトからは疎まれたりもする。そんな、よくいる生徒だった。


 彼とは何度か同じクラスになった。特別に親しいわけでもなく、特別な思い出というものがあるわけでもない。だが、前述したように普通に考えたら同じ学歴を辿るはずがないのに、何の因果か大学まで同じだったおかげか、頻繁に関わることはなくとも、わたしの学生生活の中に違和感なく溶け込んでいた、数少ない存在ではあった。


 同じ大学ではあったものの、学部が違えば行動エリアも異なるわけで、構内で会うことはほとんどなかった。彼にどういった経緯で卒業間近の考査期間にノートを貸すことになったのかは全く思い出せないのだけれど、『学科内に頼める友だちいないのかな?』と、そちらも余計なお世話で心配になったような、氣がする。


 テストが終わった頃に連絡があり、『ノートを返すのとお礼がしたいから』と学食に呼び出され、ランチを一緒に食べた。大学時代、ほぼ毎日弁当を持参していたわたしは、卒業間近にして学食で食事をするのが初めてで(男子向けに量が多いと有名な学食だったため、小食なわたしは無論近寄る理由もなく)、『何が美味しい?』と聞くと、『カレー』と答えたので、カレーをご馳走してもらった。


 小学校の給食などでは食事を共にしたことはあったのだろうが、意図して彼と食事をしたのは、これが最初で最後だった。


 テストの話や、就職の話、いろんなことを話しただろう。


 しかし哀しいかな、何を話したのか今となっては、一つも思い出せない。











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 あれから時が、過ぎて過ぎて過ぎ去って、今わたしは何度目かの大変化の渦中にいる。楽しみなのに怖くてどうしようもない時がある。目の前で起こることを淡々と受け止めること。やるべきことを淡々とこなすこと。それだけ。そんなことはわかっているのに、これまでに散々学んできたはずなのに、上手くできなくて虚しくて自己嫌悪に散々陥って、『嗚呼、どうかしてる』と嘆息が立ち込める部屋で、ああでもないこうでもないと、事実と思考とをこねくり回して散らかしている。Round and Round。堂々巡り。


 自分の ”空氣の入れ換え” もしないとダメだわと苦笑しながら窓を開け、できるうちに引っ越しの準備をしておこうと、断捨離をし始めた。


 引っ越しの経験だけは豊富なわたしでも、いつも悩ましいものがある。卒業アルバムだ。重い上に場所を取る。そして見る頻度は年単位と恐ろしく低いくせに、引っ越しの度になぜか捨てられない。これまでたくさんの想い出の品たちに、何度もお別れを告げてきたはずなのに、卒業アルバムだけはずっと残っていて、『みんな卒業アルバムってどうしてるんだろう…?』と、いつも考えてしまう。これも堂々巡り、繰り返しの良くない習慣なんだろうかと苦笑しながら、なんとなく手に取った。






 偶然か必然か、寄せ書きのページが開かれて、視線が彼の名前の上で、止まった。



『ハナは、人付き合いが上手くて本当にすごいと思う。これからもやりたいことのためにがんばって。大丈夫、ハナならできるから』



 『そんなふうに、思われてたんだっけ…』


 タイムリーすぎて思わず、独り言ちてしまった。


 しっかりしてると思われることが多いし、そういえば君にも、言われたことがあった。でも、自信なんてないんだよ、本当は、いつも。人付き合いだって、下手だと思っているくらいなのに。楽しみなことだって、怖くてたまらないときがあるのよ。今みたいに。ただ『大丈夫だよ』と、何の根拠もなくたって、誰かに言って欲しいときが、わたしにだってあるのよ。


 なんだかわたしは、いろいろ間違えているんじゃないかって思っていた、矢先。人と上手く手を繋げなくて自信をなくしていた、矢先。


 大学を卒業し、お互いに就職したわずか数年後。20代の半ばで知らぬ間に宇宙に還ってしまった君が、時を超えて届けてくれたのは、わたしが今まさに、必要としていた言葉だった。






 『大丈夫』






 君が書いた君の名を指でなぞって、いつの間にか止まっていた息を、吐いた。






 もう今世、会うことの叶わない人の肉筆が語るのは、『大丈夫』だけに留まらない、何か、もっと、大きなもののような、氣がした。



















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 生きていたら…と思う人が、何人かいる。


 生きていたら、君は今どうしていたんだろうかと。そんな詮無いことを、考えるというよりはふと、想いを馳せてしまう。


 人伝に聞いた君の死を、どんな氣持ちで聞いたんだっけ。『最後に君と話したことも、ご馳走してくれた学食のカレーの味も、すべて、憶えておいていられたら良かった』と、そんなことをわたしは、思ったんだっけ。今となっては、薄情にもわからない。


 その魂の目的は達成されたのだろうか。だから宇宙に還っていったのだろうか。今ならば、そんな視座から君のことを想うこともできるけれど、だからこそ、君がもしかしたら生きたかったかもしれない、この10年余りを、わたしはちゃんと生きてきただろうかと、自省せずにはいられない。


 たくさんの寄せ書きの中で、真っ先に目が留まったのが君の名前だったのはきっと、君が見ていたからなんだろうね。わたしの今の、ポンコツっぷりをさ。『らしくないね』といつかのように、話しかけてくれたんだろうね。君はそうやって、周りを氣にする人だった。なぜだろう、そういうことは、思い出せるのにね。







 『ありがとう』







 わたしがいつか宇宙に還り、来世も地球を選ぶとしたら、宇宙の教務課でまた君に出逢い、『あのときはありがとう』と、伝えられるだろうか。


 それが必要な言葉なら、宇宙から、そして時を超えてでも届くんだよねって、思い出させてくれてありがとうって、そんな取るに足らない話を君は、聞いてくれるだろうか。『あのポンコツっぷりはちょっとね』と、笑ってくれるだろうか。『次はわたしがカレーを奢るよ』と、ジョークの一つでも添えたら、また此処で、出逢ってくれるだろうか。












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 他の寄せ書きも他のページも見ることなく、アルバムを閉じた。断捨離途中の散らかった部屋を見渡して、『嗚呼、まだまだやらねばならぬことがたくさんある…』と、また一つ嘆息が増える。


 でも。


 開け放した窓の外。晴れ渡った空を見上げて、聞こえてくる鳥の囀りに氣づけるくらいには、わたしが戻って来た、氣がした。嗚呼やっと、嘆息で淀んだ空氣が、入れ換わる。









 わたしはただ、わたしのために、窓を開けてやれば良かったのだ。そんなことも忘れていた。愚かな遠回りに、さっきから苦笑しかない。 









 こんなわたしを見ている君が、まだ、傍に。








 いるような、氣がした。












 hana 言葉の海












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