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中学受験。勉強が得意な子の居場所は学校にない

我が家には小学5年の中学受験真っ只中の子がいる。
中学受験に夢中に(?)なっている家庭ならわかると思うが、中学受験はまことに過酷である。過酷であるが故に子供はおおきく成長できる。

2月の勝者という非常によい漫画がある。
中学受験の実情をこれでもかと描いてくれている。

感動したエピソードがある。
勉強が得意で、授業に積極的にも参加して、手を挙げて先生の質問に正答を答えまくる女の子。嬉しくて楽しくて授業に臨んでいたのだが、ある日から同級生から疎まれ、また答えるのあいつ?、みたいなことを言われる。
いつしかだんだん先生も他の子を当てるようになる。

その女の子が、スポーツや絵が得意な子は褒められ賞賛されるのに、なんで勉強ができることは褒められないの?どうして?、と涙して訴える場面。

涙なしには読めない場面である。

スポーツで目立つこと、美術や音楽で目立つことは褒められ賞賛され、勉強が人より得意なことは特に褒められない。それどころか能力を発揮してどんどん成長を促してくれようとする土壌もなければ先生もおらず、勉強が得意で好きなことはむしろかっこわるく、隠そうとさえしなければならない空気。
そんな環境の中で育って、勉強ができる子に自己肯定感や自尊心がしっかり育つものだろうか。

うちの子は勉強が好きで、どんどん先に進んでやっていた。ある学年の担任は、やれ習ってない漢字をつかうな、やれ授業と同じ文章をかきなさい、など今時珍しいぐらいの画一的指導をしていた。
もちろんその教師が悪いわけではないことはわかっている。
だが、こどもの得意なことを見つけて、自尊心を育て、伸ばせるだけ能力を伸ばしてやろうと工夫を凝らすことが学校、教師たちの仕事ではないのかと思う。

話がおおきくなって恐縮だが、この国は能力があってそれを発揮し活躍する人間に対するリスペクトがなさすぎると思う。
能力のある人間がいかんなく正しく活躍することによってしか国は発展しないのに。

受験生は学校がつまらなすぎて苦痛だといつも言っている。
能力を認め、褒めて、伸ばしてくれる人が学校にいないからだ。

重い塾のバックを背負って夜遅くまで勉強に打ち込む受験生たちを見ていると、涙が止まらないことがある。


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