【ネタバレ】『ロストケア』(2023.3.24公開)について240807wed.
今年の3月、私の祖母が亡くなった。
満97歳。
通院も介護もなく、祖母は自立した生活を送っていた。
多少の認知は入っていたと思うが、診断は受けていない。
同居の私が食事の手伝いをする程度。
最後は風邪を拗らせて亡くなった。
直前まで元気だった。
前日には快活に話もしていた。
いわゆるピンピンころりというやつだ。
そんな私がこの作品に出会えたのは何かの巡り合わせではないかと感じる。
この作品は、見る人にとってはとても鋭利な凶器となり得るほど心をえぐられるだろう。
また別の人にとっては平凡なよくあるテーマに感じられるかもしれない。
だから私は全ての人にはオススメはしない。
でも、『介護』という世界の中にはこんな社会問題が潜んでいるんだということは知ってほしい。
私は、実際に介護は経験しなかったが、
祖母が風邪を拗らせて入院した時、
退院後に介護をする準備をしていた。
4本足の杖を買った。
寝ながら飲めるコップを買った。
おむつや防水シーツ、体拭きシート、、、
諸々の準備を始めていた。
しかし、不幸にも、あるいは幸いにもというべきか、それらに出番は回ってこなかった。
前置きが長くなってしまったが、
この作品は、介護をしている人なら誰しもが共感できる、もしくは何かしら心に響く作品となっていると思う。
予告動画では猟奇的な殺人事件かと思わせるニュアンスも感じ取れるが、
そうではない。
一番イメージが近いのは小説『高瀬舟』(森鴎外)。
この作品の中には、誰もが悪でもなく正義でもない、解決策のない課題が提示されている。
そして、それはあなたにもいつか迫り来るであろう、誰しもが避けがたい未来の話である。
主人公は、介護センターで働く斯波宗典(松山ケンイチ)と検事の大友秀美(長澤まさみ)。
(※原作では、長澤まさみの役は男性の登場人物となっている。)
元は小説で、作者は葉真中顕(はまなかあき)、2013年に光文社から刊行されている。
ストーリーはそんなに複雑ではない。
見どころは、物語の後半における松山ケンイチと長澤まさみの演技の応酬にある。
つまり主人公2人の心情にクローズアップした物語だ。
ある日、斯波と同じ介護センターで働く団(だん)という中年男性が遺体で見つかる。
はじめは事故死かと思われたが、不審な点があり、秀美は斯波が事件に関与していることに気がついた。
そこからさらに調べていくと、この介護センターで異様なほど多くの利用者が亡くなっていることも発覚する。
秀美はそことの関連も入念に調べたところ、ここでもやはり斯波に辿りついた。
秀美は斯波に淡々と問い詰めたところ、すんなりと犯行を白状した。
動機は、利用者とその家族を限界レベルの介護から解放するため。
またその最初の被害者(斯波の言うところの救った人物)は、自分の父親だという。
斯波にとってみればそれが斯波の正義であり、優しさでもあった。
しかし、それは斯波自身のエゴであると糾弾する秀美。
検事である秀美の言うことは至極当然であり、
事件的にも、過去に例を見ない稀代の殺人事件であることから極刑を求刑されて当然の内容だ。
ただ、
確かに、介護施設で42人の高齢者を殺害したとなると、とても猟奇的な犯人なのではないかと思うが、
松山ケンイチ演じる斯波はあまりそういうイかれたふうには見受けられない。
確かに少し偏った思想かなとは思うが、
介護をしている当事者たちにとってみればとても腑に落ちる考え方でもある。
自分の父親が認知症となり、お金もなく、仕事もできないような生活環境の中、
役所からも見捨てられ、にっちもさっちもいかない窮地に立たされた若き日の斯波は、そうせざるを得なかったのだろうと共感してしまう気持ちにもなる。
ましてや斯波の父親はシングルファザーで、
斯波が幼い頃から一生懸命、子育てをしてきた息子思いの父親である。
視聴者に同情を誘うような回想シーンが続く。
ここでまた、斯波の父親役の柄本明の演技が迫真に迫っており、畳み掛けるように感極まるシーンとなる。
「俺の記憶がある内に殺してくれ。」
まさに高瀬舟である。
実は、秀実にも認知症で施設に入っている母親がいる。
秀美の母親もシングルマザーで、秀美が3歳の頃から女手ひとつで子育てをしてきた。
さらに、秀美の父は物語の中には出てこないが、冒頭で孤独死をしていることが伏線として張られている。
秀美は検事としての仕事は全うしたが、斯波の刑が確定した後も釈然としないままでいた。
その理由の一つに父の死が関係している。
秀美の父は亡くなる1ヶ月前に秀実に電話やメールをしていた。
しかし、秀美は20年会ってない父親の連絡を「いまさら」と思い、無視し続けていた。
あの時自分が連絡をとっていたら父は死なずに済んだのではないかという思いに駆られるも、「でも仕事があったし、あれは仕方がなかった」と思い、後ろめたい気持ちに蓋をしてきていたのだ。
その直後に今回の事件が発生した。
斯波は直接、父親に手を下したかもしれないが、
秀美は間接的に父親を殺してしまった。
おそらく秀美は、自分を斯波の姿と重ねたのだろう。
この胸に秘めた事実と想いを斯波に聞いてほしいと思った。
クライマックスのシーンでは、
まるで秀美が斯波に懺悔をしているかのような構図になっている。
実際はただの面会室であるはずなのに。
そして最後は、
秀美の告白を受け、
斯波の回想に入り、
斯波が父親を殺害したシーンで終幕する。
大量殺人は受け入れがたいが、斯波の立場になってみると、「あり得るかもしれない」と思わせるストーリーとなっている。
私は当初、この映画を平静な気持ちで見ていられると思ったのだが、
いつの間にか松山ケンイチと長澤まさみの演技に引き込まれるように見入っていた。
いや、柄本明の演技も凄かった。
もし、祖母が生きていたらこうなっていたかもしれないと、思わず斯波の父親と重ねてしまった。
祖母が亡くなって数ヶ月が経つ。
大病したわけでもないし、
97歳という大往生なわけで、
そんなに悲しみは引きずらなかった。
きっと祖母にとっては良い亡くなり方だったのだろうと思うことにしている。
亡くなった直後は、悲しみから涙することはあったが、
最近はもう祖母のいない生活に完全に慣れていた。
そんな矢先にこの作品を観て、泣くつもりもなく自然と涙が流れていた。
「嗚呼、やっぱりおばあちゃんにはそばにいてほしいよな」
と、改めて思った。
でも、そう思えるのは、これは私が介護を経験していないからなのだろうか。
キツくて辛い介護を経験しても同じように思うことはできたのだろうか。
こればっかりはやはり答えが出ない。
今まさに介護をされている方々には頭が下がる想いでいっぱいだ。
どうかご家族皆さんが健やかに生活できることを心からお祈り申し上げます。