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食い意地・針の穴

食い気なのか
食い意地なのか
それとも生態生理学的にそういうもんなのかどうかわからんけれど

イロイロぶっ壊れてヒトの形を保つコトすらまともにできていなかった頃
(もしかしたらその状態からほんのちょっとだけ復活してきた頃)
最初にできるようになったことは「食事」だった。


いや、正確にいうと、料理。

食べることがちゃんとできるようになって
その次は、料理をすることができるようになった

モヤがかかったように視界も音も思考も他人事になっていたのに
「食べること」そして「味覚」だけは、リアルだったのだ
リアルな、現実として「自分」に届いていたのだ。

それダケ、が。


まあ、そんなこと言うとすごいでかいことみたいに聞こえちゃいますけど
あの時食べたあれがまた食べたいな、とか
あ、これがある、食べちゃわないと、とか
なんだろこれおいしそうかも、とか
そう言うとてもシンプルな「食欲」以前の「食への興味」みたいなもの
そう言うものがいちばん最初に持ち上がってきた
んですよね

それでご飯が楽しくなって
食べたいものを食べるために出歩くようにもなって
レシピ本くらいなら読めるようになって
そして、海外の食文化の本とかも読めるようになって

それをきっかけに、漫画やエグい体験談以外の本も読める程度になって
そうしたら目を滑るようことが大半だったとはいえ
言葉を見つけるようになって
それにによって扉がどんどん開いていくように
少しずつ自分の形を取り戻していった
のですよね


その、きっかけになった「食への興味」は
それこそ、「蜘蛛の糸」のように「暗闇にもたらされた針の穴」
その当時は(といってもそこから15年近く)はそこに縋ってきたんだけど
だからこそ、それが自分の根幹だと思ってたんだけれど

なんかそこじゃなかったっぽくって最近びっくりしてます。

「食への興味」が色褪せたのともまた厳密には違う。
その糸が、登ってしまったら糸にしか見えなくなってしまったというか
針の穴は針の穴だった、のかもしれませんし
わたしの中に溶け込んで当たり前のものになっただけかもしれません

でも、この、すがっていた糸を掴めなくなった感
確かな楽しみを与えてくれていたものが力をある意味で失った感
やばいものと捉えていいのか
喜ばしいものと捉えていいのかがわからないのが今で
もしかしたらまた崩壊してきてるのかと恐れる気持ちもあります

まあ、離人症は治っていないとしても
他にも楽しめるものや刺激になるもの、感じられるものはたくさんあるので
また崩壊していると言うセンではないとは思っているのですが
それでも、そこにあったはずの命綱というか、確かな光が
周囲が明るく見えるようになってしまって見えなくなった
ような
そんな不安が、ときどき、わきあがってしまうのです。

「美味しいもの食べに行こう♪」と思ってもどの店にも行きたくなかったり
「夕ご飯何にしようかな♪」と思ってもそこに喜びがあまりなかったり
美味しいものに出会った時も、美味しい食材や珍しい食材に出会った時も
興奮がほとんど起きずに、シンプルにちょっと嬉しいだけだったり
そんな時に、あれ? わたしどうしちゃったの? というか
やばい? 鬱ってきた? みたいな不安も湧き上がってしまうのです


まあ
この土地にわたしがときめくような、心を満たしてくれるような素敵なお店が探しても探しても全くないってことが原因なような気がするけどね……びっくりするほど見つからなくてある意味の気持ちが死にかけてるのは確かにあるんだけどね……わたしのその「糸」の繋がっていた先の「食文化」という意味では興味をそそるようなものがほとんどないというだけなのかもしれないけどね……ゴニョゴニョん……

だとしても
ここまであの「ヨスガ」が薄まって見えなくなってしまったことは事実で
ここまでそうなってしまうということはそれだけのものであったということでもあるというのは事実だとは思うのです。

それを、どうするのか
「明確な ”すがるべき糸”」をまた探すべきなのか
「”すがるべき糸” がないことが当たり前」として生きるべきなのか

はたまた、世界は幾千幾万の垂らされた糸の下で存在しているものなのか
そういうことを考える頃合い、なのかもしれません。


きっと、「治って」きているんでしょうね。
頭ではわかります。
きっとみんな人生をマリオみたいに進んでるんだって。
垂れるロープはいくつもあって、ロープだけじゃなくてイロイロあって
進めば登ればまた違うものを使って登っていくんだろうって。ここで、次のロープを何か選んで「その先」に行かなきゃいけないんだろうな、って。


巣立ち、なのかなぁ。
遅れまくった巣立ち。

あの頃からずっとチラチラしていて太すぎて掴みキレなかったとかで当時は掴めなかった「モノカキ」というこの綱(糸ではない)を掴んでいるような気がする今。それしかなかったから勝手にヨスガになってくれたあの頃の「食への興味」のように、今のこれは勝手にはそんなに重要なものにならないばかりか、能動的なエネルギーもだいぶ必要とするだろうことは確かです。だからこそ、ある意味で握る手に手が入らない。掴み切れる気がしないのか、怖いのかわからないけれど。


はてさて
わたしはこの殻を破ってさらに違う世界へ登っていけるのでしょうか
「登ろう」という意識だけがそれを可能にさせるのでしょうけど


そしてとりあえずは
ちまちまとこのnoteを、毎日書く、のでした。


そして今日のテーマソングは
the pillows "Good Morning Good News" です

あの頃にブッ刺さってた曲ですね。

サポートいただけたらムスメズに美味しいもの食べさせるか、わたしがドトります。 小躍りしながら。