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感動の詰まったハンカチ

はじめての涙をぬぐったハンカチ


日常生活で使うただのハンカチ。
私は子供の幼稚園の時のある件から一枚の決まったハンカチを持っていくようになりました。

次男は幼稚園の頃、お兄ちゃん大好き、お友達大好きで男の子とばかり遊んでいるような子でした。
映画も見に行ったりしましたが、感動するということがないような子でした。

少し心配したこともある日もありました。
この子、感受性乏しい?私のせい?
お兄ちゃんが発達が遅いということでいろいろバタバタしていたこともあったので、私の関りが悪いのではないかと思ったこともあったくらいでした。

ドラえもんの映画をみたときも私は泣くのをこらえてる感じ。
長男はハンカチで自分で拭ってる。
次男は・・・真正面スクリーンを普通に見てる。

きっと今は何もまだわからないのかもな~自然と感じていくようになるんだろうなあと期待と共に思っていました。

幼稚園の卒業式直前、次男の様子がおかしくなりました。
なんだか寂しそう・・・

お風呂に一緒に入っても
「卒園したくないなあ」
「小学校いきたくない」と言い始めました。

幼稚園にすごく仲良かった男の子が当時いて、離れたくなかったみたいです。
「お手紙書いたりしてみたら?」と言った時に嬉しそうに
「うん!書く!」と笑顔で言っていた顔は今でも覚えています。

そして卒園式。少し緊張した面持ちで卒園証書を受け取り、その時に
顔がうつむき加減でした。軽く腕を顔にあてたかあててないかという仕草をし、最後全員で舞台に立ちお別れの歌を歌い始めたときに次男がこらえきれなくなったらしく、歌いながら涙が顔をつたっているのが見えました。その姿を見た私は思わず
「うっ・・うっ・・」涙が溢れました。隣にいた主人までもが泣く人ではないのですが、ハンカチで目頭を押さえこらえていました。

お友達とよっぽど離れたくなかったのでしょう。その日、お友達に書いたラブレター並みの感謝の手紙を渡すことができました。

長男の小学校の卒業式

長男はこの頃まだ発達の遅れという形で学校の先生たちの支援を受けながら学校生活を送っていました。高学年に入ったころ、担任の先生と交換日記をすることになりみんなめんどくさいなあと言いながらも楽しんでいたみたいです。

長男もはじめは楽しんでいました。お友達にも恵まれみんな支えてくれたり普通に家に遊びに来てくれたり、小さな映画を見に行ってくれたり(これは後からわかり真っ青になりましたが)、私は内心ホッとしていました。
でも、親とは違い子供は深い心の傷を広げていっていたのです。

本人もわからずに広がっていったんだと思います。後半の頃、交換日記をたまたま見たら、端の方に「死にたい」とかいてあったのです。震える手で書いたのでしょう。字がギザギザになるような字になっていました。

人生ではじめての衝撃を受けました。どうしたらよいんだろう。
私は自分を見失いそうになっていました。先生ととことん話をして、すっきりした後私はいつも通り長男に接しました。でも楽しめることをたくさんやりました。これやってくださいとゲームのコントローラーを渡されれば一緒に思いっきり楽しんで。

そのうちだんだん日記の内容も増えていき楽しそうな感じになってきたので、全身の力が抜けて倒れるんじゃないかと思いました。土台がしっかりしていたので倒れませんでしたが・・・

そして卒業式・・私はあの次男が泣いたときに持っていたハンカチを持ってきていました。どうしてか持ってきたかったのです。私は感受性が強いのか単なる泣き虫かよく泣きます。涙は我慢できません。

長男もお友達大好きなので、大号泣・・・
私も大号泣・・・

謝恩会の時も持っていきましたが、集まった保護者の方たちがみんな話をしなくてもつながってるような雰囲気の方ばかりでみんな号泣。先生が辞めてしまうこともありましたが、こんなに泣く人がそろうのも珍しいのではないかと思うくらいみんなで別れを惜しみました。といっても中学ほとんど一緒なんですけどね。

ただうちは別れの部類でした。みんなとは違う中学。支援学級がある中学に入学することを決断し、そっちに行くことになっていたので・・・

他にも長男が運動会で組体操で一番高いタワーのてっぺんを担当することになり、なかなか立ち上がることが出来なくて、先生たちも落ちたときの為に周りを囲っていました。私はドキドキ。例のハンカチを握りしめ叫びそうでした。

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