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大病を克服した経験を元に、どのように病と向き合うのかがわかる参考書
こんにちは😊
ふくてんです。
前回の「自己紹介&今までの歩み」という記事でも少し書きましたが、
私、ふくてんは今でこそまともな、というか普通の生活をしていますが、本当に病気だらけでいろんな経験をしてきました。
ふくてんの病歴
まず病気と言えば無数のものがありますが、ここで私が経験した病歴を、サッとお知らせいたします。
✅腸閉塞
✅白血病
✅統合失調症
✅C型肝炎
これだけ見ても多いなとかんじる人もいれば、
「なんだこれだけっ、、、」
私のほうがもっと多い、
という方もいるかと思いますが、
そんな私でも社会復帰をし、現状維持できています。
果たしてどういう経緯で、どんな想いで病と向き合ってきたのか、
さらに、それらの経験を活かし、どのようにして現在があるのかを今回メインに、話しを進めて行きたいと思います。
どんな方に読んでもらいたいか。
✅社会復帰が難しいとかんじる方
✅闘病生活に終止符を打ちたい方
✅クスリの副作用がつらい方
✅後遺症に悩まされている方
✅病の兆候があり不安な方
など考えられますが、
本音を言えばできるだけ多くの方に読んでもらいたいです。
万国共通の悩みの一つに健康問題があるのはご存じだと思います。
また、
病は誰にでもかかる可能性があり、原因が今だに解明されていない病は無数、しかも未来は誰も予測できません。
私自身も皆さんと同じように、今後いつどのようになるのか、わかりません。
今でこそ、今までの経験をかてに、前を向いて生きてますが、本当に、この先わからないのが現実です。
なので、できる限り多くの人に
私の病気の経験談を届け、
参考にしてもらいたい!
元気になってもらいたい!!
のがこの記事の目的です。
ここでこの記事を読んだ方々からの、コメントを紹介した後に、本題に入りたいと思います。
よろしくお願い致します!!
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腸閉塞
私が腸閉塞になったのは、
14歳、中学2年生の頃。
原因は暴飲暴食によるものと考えられますが、のちの医師の説明によりますと、
私の腸、つまり小腸のある部分が普通の人より、生まれつき少し長く、腸閉塞になりやすい体質だったということでした。
経緯を思い出しますと、
友人宅で昼食をご馳走になり、おやつも含め短時間で大量に飲食。
これがキッカケで腹部に
少しづつ痛みが生じ、
5 日程過ぎたにも関わらず便通がなく、左下腹部の辺りに、痛みが走ったので病院に行った次第です。
そこでレントゲンや
CTの検査をしたのですが、
原因はわからず。。。
医師には
「もう幾日も便通がなく、暴飲暴食をしました」
と伝えたのですが、
「う~ん、レントゲンに影はないんだよね~」
と言われ、
結局のところ、そこの病院からほどよい距離の中規模の病院に紹介されました。
しかし、そこでもレントゲン&CT、あと腹部のエコーも追加で行われましたが、
結果はわからず。。。
今思うと、なんで医者なのにわからないのかと思いますが、結局、謎の病気ということで、その日は入院することになったのです。
そして次の日、
クライマックス
がやってきました。
腹痛はさらにひどくなり、激しい痛みから半分意識が飛び、くちびるがムラサキ色に変色。
顔はまっさお、一睡もできず、食べることも、水分さえ取ることもままならなかったので、
医師の最終判断は腹部切開の緊急手術しかないという決断に至りました。
手術は6〜7時間かかり、腸閉塞だと判明したのは、切開してすぐのことだったそうです。
意識が戻り、目が覚めた時には集中治療室にいました。
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集中治療室から出られたのは一週間後でその間、栄養や水分は全て点滴、口から摂取できなかったこともあり、激ヤセしました。
その後、一般病床の相部屋に移り、そこでさらに一週間の入院生活が続き。
退院2日前、やっとのことで、
普通の病院食が提供され、涙で頬をビショビショに濡らすほど泣きました。
なぜなら、
食事が取れるありがたみ、口から接種できる普段当たり前にやっていたことが、やっとできることに感謝、感激、感動したからです。
そして2日後にめでたく退院できたのですが、手術は本当に必要だったのかと、当時は悔やまれもしました。
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白血病
この病気に罹患したのは、
17歳、高校2年生の時。
原因不明とされているこの病気ですが、今思えば自分はかなり身体を酷使し、若かったとはいえ、体調管理が全然できてませんでした。
日中は高校に通い、週4〜5日はバイトに入ってましたので、
症状が出始めた初期の頃のダルさや、体調の悪さは、若さでなんとか乗り切っていたのを思い出します。
症状が明らかになったのは、脚や腕に薄黒い斑点ができ、寝ても疲れが全然取れないので、自宅近くの小さなクリニックへ。
そこで採血の検査結果がわかると、医師は血相を変えて、
「今すぐ紹介する大学病院に行って下さい!」
と紹介状を用意してくれたのです。
紹介状をたずさえ、大学病院へ行き、
再検査の結果が出るとすぐに会議室に呼ばれ、病名が言い渡されたました。
急性骨髄性白血病
が正式な病名。
それを聞いた瞬間、身体に脱力感が駆け巡りましたが、その前になんとなく大きな病気になってしまったのかなと、かんじてはいたので病名を聞いて、
ショックと同時に観念したというのが、正直な気持ちです。
でも、それよりもっとショックだったのは、治療のため、最低半年から一年の入院が必要だと言われたことです。
青春真っ只中のティーンエイジャーには、
死刑宣告を受けるようなお言葉😱
治療は緊急を要していたので、入院した翌日から即開始されました。
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長い闘病生活の始まり、
治療はあっという間でしたが、
数時間後に副作用が早速襲って来ました。
嘔吐、倦怠感、節々の痛み、などなど、あげていたらキリがないくらいで、ベッドから起き上がるのもやっとなくらい、、、
そして、数日後に毛髪や、身体に生えている、ありとあらゆる毛が抜け落ち、
言葉では表現できないほどの苦痛、、、
精神的にも身体的にもです。
この治療があと、合計5回も繰り返すのですから、大人でも根をあげ、逃げ出す人がいるのもうなずけます。
当時、高校生の私がよく耐えたなと、つくづく思いました。
そのあと治療は順調に行き、副作用との闘いにも慣れてきた頃、
悲しい出来事が。。。
相部屋で仲良くしていた他の患者さん、言い換えれば戦友たちの
戦線離脱
退院される場合もあるのですが、半数の割合で治療した後に亡くなるケースが多かったです。
よくみられたのが、
治療の影響で白血球が激減し、
免疫力が異常に落ちることで風邪をひき、こじらせ肺炎になり、力尽きるという流れ。
つまり患者さんの多くは白血病自体で亡くなるのではなく、抗がん剤の治療後に来る副作用でやられてしまうのです。
今はクスリがだいぶ進歩し、副作用も軽減してきてますが、
それでも化学療法の抗がん剤治療は強烈で、副作用は悩みの種なんです。
入院生活から半年が過ぎ、7ヶ月目に最後の抗がん剤治療を行い、
わたしは全てのプログラムをクリア。
最後の検査結果は問題なかったので、計8ヶ月の入院生活でめでたく退院できました。
しかしこのあと、克服したはずの白血病は高校卒業後に再発。
私は再度この病と向き合い、最後には打ち勝つのですが、ここまで人生を狂わされてしまった病気とオサラバするため、
人生最大の決断をします。
環境を変え、人生の再出発。
「渡米しよう!!」
と決め、2年後に米国、カリフォルニア州に降り立ちました。
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統合失調症
精神疾患である統合失調症になったのは、
38歳の頃、
既に私はアメリカから帰国の途について6年経った時でした。
精神の病は、他の内科系や外科系の病気とは違い、症状はでるものの、見た目では全くわからないというところに特徴があります。
また、個人差はありますが、症状が出ても
「自分は違う、精神疾患ではない」
と受け入れるのが難しく、
治療に向けての第一歩がなかなか踏み出せないこともあり、厄介な疾患です。
私も実際、この病気になり受け入れるのには時間がかかり、
クスリを服用し、本当に向き合って治すという意志が備わるまで、苦労の連続でした。
統合失調症になる原因は不明とされていますが、今考えてみると、その当時は精神的にかなり不安定で、
海外から帰って来て職を転々とし、アメリカで知った趣味のはずの瞑想に明け暮れており、
なかなか人生好転し、上手くいかないこともあり、大変焦ってました。
医師はそれが直接的な原因とは断言できないと言ってますが、今だに自分の過去を振り返ると、ちょっと無茶をしたなと反省してます。
最初の記事、「自己紹介&今までの歩み」にも触れてますが、アメリカで始めた瞑想の施設は世界各地にあり、日本にも施設はありました。
営利目的がないこの瞑想センターの運営は全て奉仕、ボランティアで運営しており、
わたしもメンバーとして仕事が休みの時はいつもボランティア活動に参加してました。
仲良くなったボランティアスタッフは全国各地から来てたので、わたしは仕事を辞めた節目を利用し、
北は北海道から南は九州まで、会いに行き親交を深めて行きました。
ところがある日を境に旅の道中で、精神疾患の症状が現れ始めたのです。
幻聴
どこからともなく声が聞こえて来るのです。
誰が言っているのか、全くわからず、最初は気にしてなかったのですが、
そのうちに頻度が徐々に増えていき、わけのわからないことが耳元でささやくのです。
「お前、今何やってるの?」
「こんなことしている場合か?」
「早く遊びに行こうぜっ」
など、どちらかというと否定的で命令口調の言葉、時にはこれよりひどい、ネガティブで中傷的な言葉が次から次へとささやかれるのです。
しかも、日に日に幻聴の頻度が増えていき、自分の耳を手で塞ぐほど、ひどくなったので、
急遽自宅に戻り、近所のメンタルクリニックに逃げるように駆け込みました。
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メンタルクリニックで今までの症状や、人生経験など、ありとあらゆる自分のことを洗い出し、医師に伝えた結果、
統合失調症
と診断されました。
わたしは最初、
「まさか自分が精神疾患に?」
と医師を疑い理由を問いただしましたが、
医師は
「あなたの症状、幻聴は間違いなく統合失調症のものです。」
と冷静にきりだし、慰めの言葉をかけてくれ、寄り添ってもくれたのですが、わたしは即受け入れることができず、、、
そこでさらに医師は
「受け入れることができないと、治療はうまくいかない場合もあるので、心の整理ができ次第、また来院して下さい。」
と想像していたのと、逆のことを言ってきたので驚きました。
予想していた、
「今すぐ治療をしなければいけない!」
などの強制はしないのです。
精神疾患はものすごくデリケートな問題で、医師によっては、
患者が病気を受け入れ、医者と向き合い、治そうとする意志がないと、治療やサポートをしない場合があるのです。
その後その場をあとにした私は、ゆっくり考え気持ちを整理し
後日、同じクリニックへ。
医師に心の準備ができたことを伝えると、治療方法についての説明があり、クスリが処方され経過をみていくことに。
そして、クスリとの相性は良く&医師の懸命なサポートもあり、みるみるうちに症状は改善され、あっという間に寛解したのです。
今では月一回の定期的な通院のみで落ち着き、再発もなく、もう10年が経ちます。
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C型肝炎
統合失調症が落ち着き、医師から社会復帰のGOサインが出たのは
39歳の時。
医師の条件は、
営業系の仕事や交渉等をする、複雑なコミュニケーションを必要とする仕事以外なら、何をしても大丈夫ということでしたので、
私は福祉の世界に行くことに。
今までの恩返しを福祉業界で社会貢献をしたいという想いと、
たまたま散歩している障がい者の方たちを見かけ、これしかないと勝手に決めこんじゃったのです。
自宅近くにある、知的障がい者の方が通う社会福祉法人、生活介護事業所が職員募集をしているのを知り、早速応募し採用となりました。
生活介護事業所の生活支援員として配属され、そこで2年目を迎える頃、身体のダルさと睡眠不足がひどくなり病院へ行くことに。
採血検査の結果、肝機能の値が異常値を示したため、大きな病院での精密検査を勧められ、そちらの病院に行くことになりました。
医師からは
C型肝炎
と診断され、治療方法と今後の流れの説明がありましたが、
今回、何が辛かったかと言うと、C型肝炎になったことよりも、
「また病気か、、、」
という複雑な気持ちが勝ってました。
腸閉塞から始まり、白血病、統合失調症でメンタルもやられ、これで最後になるかどうかわかりませんが、
C型肝炎に今度はなるという。。。
どう考えても、
なんで自分ばかり、
というやるせない気持ちと共に、
どこに&誰に、
このうっぷんをはらせばよいのか、
病院からの帰り路、このようなことばかり考えてましたが、時間が経つとともに少しづつ冷静になっていきました。
C型肝炎の治療は年々進化し、今では飲み薬で治ると言いますが、
当時のわたしが受けた治療はインターフェロンという名のクスリ、注射での治療方法でした。
病気の進行具合は緊急を要していなかったので、治療は診断を受けて2ヶ月後くらいから始まりました。
また日常生活に支障がないということもあり、入院はせず通院で、しかも仕事を続けながら行うことになり、
2週間にいっぺん注射を打ち、
様子をみることに。
このサイクルを半年行い、採血検査をした結果、ウィルスはみるみるうちに減少していき、半年続けた時点でウィルスは死滅してました。
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仕事は療養期間を兼ねシフト勤務で融通がきく生活介護事業所からグループホーム、共同生活援助に異動。
グループホー厶での勤務は予想以上に私の勤務スタイルとの相性が良く、その結果、同じ法人に8年ほどお世話になりました。
その合間に、介護福祉士の資格を取得し軌道に乗ったので、転職をいくつか経験し現在に至ります。
ここまでお付き合いいただき
ありがとうございます。
以上が前半の、今まで私が経験した病気の経緯と説明は終了とさせていただきます。
ここから先の続きは有料になります。
後半は、今までの経験から得た、私の考えや知識をすべて集約し、
どのようにして病気を克服していったかの、方法等、語りたいと思います。
どうぞ最後までお付き合いください!!
![](https://assets.st-note.com/img/1714962625389-BKgyvBq5Mm.png)
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