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ひだり手を5針縫った。 からの、大阪とか結婚とかお葬式の一週間

左手人差し指を、包丁でざっくり切りました。


6月4日の夜。
青梅のかりかり砂糖漬けの仕込み中、梅を縦十字に切込み、実に包丁をあてて種から離しているとき。
一瞬のこと、梅が手から泳いで包丁が滑り、人差し指のつけ根、甲の側を斜めにザクッといった。
木こりが、木に対して斧を斜めに入れる感じ。

・・・イマジン

傷口は3cmくらい。
すぐに流水にあてると、枕カバーのファスナーを開いたときみたいになっていて、泉のごとく血が湧き上がる。

これはいかん。21時すぎ。清潔な手ぬぐいをシンバルを持つときみたいに(持ったこと、ある?)親指の付け根からぐるぐる巻きにして、心臓からうえに上げながら、片手で救急案内に電話。


なんでしょうね、こういうとき妙に本領発揮するのです。


救急で案内された外科5件のうち、3件目の病院が受入れてくれた。
隣駅の駅前。運転できないし、運が良い。
血まみれ血なまぐさい左手を上げたまま、いつもの3倍は軽い足どりでホップステップ、電車で病院に到着した。

総合病院。うす暗く誰もいないロビー。
ハタと喉が張り付きそうだと気づいて、ウォーターサーバーのお水を飲もうとしたら、名前を呼ばれた。急いで飲んだお水、すっごくおいしかった。

静かな外科診察室。
「深いですね~」と先生。
俳優の野間口 徹さんに顔も雰囲気も似ている。なにこの朗らかな根暗感。ほっとする。手はむちゃくちゃ痛いけど。

細かい血管が切れ、神経も切れてるように見えているという。5針。神経がうまくいくようになるべく寄せて縫ってくださったそう。徹、感謝です。

「あのぅ~、あさって一泊でちょっと動く出張なんですが、行けますか?」


「あらら、まぁ大丈夫ですよ。とにかく清潔に気をつけて」心強いお返事!


切った瞬間から、そのことばっかり気にしていた。
大阪のまんぷく商運ツアー
超尊敬するかた発信で仲間が集まる。
珍しく生理が遅れるほど浮かれていた。
先生には『旅』っていえなかったや。
ともあれ、よかった。


1日分の抗生剤と胃薬とロキソニンをもらって、明日、精算と整形外科での再診をするよう言われ、帰宅した。


翌日、整形外科で再診。
人差し指は縦には動かせる。神経を痛めてるなら、親指側に開く力が弱くなっているかも、という。なるほど。


国旗暗記日本一の子どもみたいな速さで神経の名前を羅列する若い先生。固定具の装着位置を看護師さんに丁寧に指示してくださって安心した。ありがたい。

外科の抜糸は2週間くらい。
整形外科の器具が取れるのは3週間くらいだそう。
外科と整形外科がまるで別モノだとはじめて知った。

「明日から一泊出張なんですが、行っていいですか?」
念のため聞くと、抗生剤は100%飲んで清潔に。禁酒の約束でOKをいただいた。嬉しくて、頭の中に威風堂々が流れちゃった。

診察を終え駅のタリーズでビタミン注入


左手が不自由になるのは2度目である。
前回は12年前。窓のサンに中指をかけたまま、勢いよく窓を閉めて中指の第一関節を挟み骨折、全治40日だった。

意識では忘れているのに、自然と慣れた動きで左手をカバーしながら用事を済ませたり、上手に包帯を巻き直したりしている。経験の記憶は強く逞しい

翌朝、私は大阪へと向かった。
ちょっとハンパない充実旅だった。

この日記を、怪我からちょうど1週間後に書いている。


そのあいだに大阪旅をして、プライベートでは甥っ子の結婚報告お祝いに実家に行き、兄の相続税の打合せをして、親戚の葬儀があった。合間に診察。超珍しく、旧知の友のだらしなさに大迷惑をこうむりガチギレする案件も発生した。


プライベートがジェットコースターな1週間なり。

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